2018年11月15日木曜日

妄想劇場・特別編

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みんな、私の着ているものを見て笑ったわ。
でもそれが私の成功の鍵。
みんなと同じ格好をしなかったからよ。
・・・(ココ・シャネル ) 



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揺さぶりの虐待は本当に相次いでいるのか?

乳幼児が頭を激しく揺さぶられることで脳に
損傷を負う揺さぶられっ子症候群(SBS)。
親がSBSで逮捕・起訴される事件が
相次いでいます。

生後1カ月の長女を揺さぶったと疑われた
母親が頼った弁護士は、誤った診断で冤罪が
量産されていると訴えます。

一方、医師の虐待対応の「診断ガイド」を作成し、
虐待専門医として法廷に立つ小児科医は、
「SBSはほとんど起訴されず虐待が見逃されて
いるのが実態だ」と訴えています。

ふたつの“正義”が法廷で衝突し、母親に
判決が下されます。

虐待をなくす「正義」と冤罪をなくす「正義」

2017年4月、とある研究会で秋田真志弁護士から
「揺さぶられっ子症候群(SBS)」の問題について
話を聞きました。

そのときの衝撃は今も忘れられません。
「SBSの診断根拠は海外では約20年前から
見直されつつあるのに、日本ではなぜか
2010年代に入って赤ちゃんを揺さぶったとして
親が逮捕・起訴される事件が目立つように
なりました。

背景には、虐待専門医と呼ばれる一部の
医師がアメリカの理論をそのまま取り入れて
SBSを推進している動きがあり、そうした
医師の診断を鵜呑みにして、児童相談所は
親子を引き離し、警察・検察・裁判所は
親に刑事責任を科している」というのです。

もし、医師が過剰に診断している実態があるなら、
現在の日本の刑事裁判ではチェックが働かず
冤罪が次々に生まれているかもしれない
と思いました。

虐待専門医が執筆した論文をみると、
SBSと診断するには「1秒間に3~4回往復させる
ほどの激しい揺さぶり行為」が必要だといいます。

思っていたよりかなり激しい揺さぶりで、
このときはじめて、多くの親がそんな激しい
揺さぶりを行うものなのかなと奇異に感じました。

これまで揺さぶりによる虐待のニュースは
何度も耳にしていました。
親が激しく揺さぶる行為はよくあることだと
これまで疑問を持ったことはありませんでした。

人間の思い込み(バイアス)というのは
怖いものです。
最初に聞いたときに疑問を持たなければ、
その後は“そういうもの”として受け入れて
しまっています。

逮捕時に報道しているメディアの責務として、
SBSの実態をしっかり検証していく必要が
あると思い、取材を開始しました。

取材を進める中で、我が子を揺さぶったと
疑われている親にたくさん会って話を
聞いたところ、当事者はあまりに過酷な
状況に置かれていました。

自分の子どもが、後遺障害が残るほどの
大ケガをしています。これだけでも大変な
事態なのに、児童相談所によって子どもと
引き離されたり、並行して警察捜査への
対応が求められ、

場合によっては逮捕・起訴され刑務所に
送られるかもしれません。
家庭内という密室で起きていて、カメラが
あるわけでもないし、第三者の目撃者が
いるわけでもありません。

虐待していないことを証明する十分な術が
彼らにはありません。
SBSの診断には十分な医学的根拠が
あるのか見極めなければならないと
感じました。

そのため、虐待専門医にも話を聞く
必要がありました。秋田弁護士らが千葉県内で
開催した研究会に参加していた溝口医師は、
秋田弁護士が問題視していた虐待に対応する
医師の「診断ガイド」の作成者の一人で、
数週間前に秋田弁護士とはSBS裁判の法廷で
対決したばかりでした。
研究会終了後に溝口医師から話を聞くことが
できました。

溝口医師は、虐待を見逃して、子どもの命を
危険にさらすことはできないことを何度も
強調され、そのとき気づきました。

これは「善」対「悪」という単純な二項対立の
問題ではなく、虐待をなくすという「正義」と、
冤罪をなくすという「正義」が衝突せざるを
得ない問題であると。

目的はどちらも正しいことに異論はありません。
しかし、手段である虐待診断の基準を緩くすれば
冤罪は増えるし、診断基準を厳しくすれば
虐待した親を見逃すことになりかねません。

どちらにも「正義」があるからこそ、両立できる
着地点を目指すべきで、「ふたつの正義」という
タイトルにはこのときの思いが込められています。

「10人の真犯人を見逃しても、一人の無実の人を
罰することがあってはならない」という
刑事裁判の格言があります。

この格言に真っ向から反対する人は
少ないかもしれません。
でも、「10人の虐待した親を見逃しても、
一人の無実の親を罰してはならない」
という格言なら、多くの人はどのように
答えるでしょうか。

取材中、この問いが頭の中から離れることが
ありませんでした。

「誰もが当事者になりうる話なんです。
赤ちゃんが落下等の事故で病院に
運ばれた際、CT検査で頭に急性硬膜下血腫
などが発見されます。

そのとき、直前に赤ちゃんと一緒にいた
あなたがSBSで虐待したと疑われるかも
しれないのです。
私自身生まれたばかりの子を持つ親として、
とても他人事とは思えませんでした。

SBSによる逮捕・起訴が増え始めたのは
2010年前後です。
これまで病院、児童相談所、警察を引っ張って
きたのは、虐待専門医と呼ばれる一部の
医師たちです。

彼らは、児童虐待問題にしっかりと向き合う
社会を作り上げてきた方々です。
その思いは、子どもの命を守っていくという
「正義」です。

でも、“正義”は、その“目的”が正しいがゆえに
結果として暴走してしまう場合もあります。

はたして、虐待をなくすという“正義”の実現の
ために選択してきた“手段”が、今では
行き過ぎたものになってはいないか。
見極めていただきたいと思います」・・・


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人は、どういう時に相手のことを信用するの
でしょうか。
その一つは、自分の事を「損得抜き」の間柄だと
思ってくれていることがわかった時だと思います。

仕事が忙しいのにもかかわらず、仕事を
早退してまでお見舞いに来てくれたり、
頼んでもいないのに、「アイツから聞いたけど、
店の経営が思わしくないそうだね。
対して役に立てないだろうけど、何でも言ってくれよ」
と声を掛けてくれたり。

そういうことは、友達同士での付き合いのことですが、
「商い」を通してでも、「ああ、この人は、損得抜きで
私のことを考えてくれている」と思い、信用する
ことがあります。

『街のでんきやさん』の話」(PHP研究所)という本が
あります。この「元気屋(電器屋)さん」とは、
全国の「パナソニックのお店」のことです。

社名変更前は「ナショナルのお店」。
松下幸之助さんが作った松下電器の販売店です。
このパナソニックのお店を取材し、お客様との
「いい話」を綴った本です。

大阪府堺市の「フラグシップキョウェイ」さん
のエピソード。

ある日、このお店にテレビを買いたいとお客様が
やってきました。
「いっちゃん大きいのを買うたるわ!」
と言って。ところがです。

「やめとき!」と言われてしまいした。
それが嬉しくて、そのお客様は、そのお店を
ますます信頼するようになりました。

二代目店主の田池大輔さんいわく、
「あの部屋に置くのに、アレは大きすぎるわ。
かえって見づらい、目わるくするわ。
僕がすすめたほうで正解やったろ」
そして、こう続けます。

「このあたりにも量販店さんがいくつかあるし、
いまはネットで買う人も増えてきている。
そんななかで、いちばんお客さまのためになる
ご提案ができなければ、“街のでんきや”を
やってる価値がないと、僕は思っているんです」

これって、幸之助さんの教えに通ずるんじゃ
ないかと。
有名な幸之助さんの言葉をいくつか掲げさせて
いただきます。

「商売は、世のため人のための奉仕」
「売る前のお世辞より、売った後の奉仕」
「お客さまの好むものを売るな。
お客さまのためになるものを売れ」
「商売とは、感動を与えることである」

これらの「魂」は、「フラグシップキョウェイ」さんの
「商い」の姿勢に、脈々と生きているのですね。

「これのサイズで充分」
「余分な機能は必要ないですよ」
「直せば、まだ使えます」
何度、そう言われたことか。

それだけではありません。蛍光管1本切れても、
取り換えに来てくれるのです。
(さすがに申し訳なくて、取りに伺うように
していますが・・・)

「安さ」をウリにするのも「商い」の大切な
ポイントです。でも、価格だけではない。
損得抜きのお付き合いができるお店が、
すぐ近くにあることが、「幸せ」だ
と思えるこの頃です。・・・




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2018年11月14日水曜日

妄想劇場・チャンネル掲示板

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美しさは女性の「武器」であり、
装いは「知恵」であり、
謙虚さは「エレガント」である。
・・・(ココ・シャネル)


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茨城県水戸市で動物保護活動をするNPO法人の
理事長(55)が、動物を虐待していたというなんとも
皮肉な事件が起きた。

同県警水戸署は先ごろ、保護する猫を叩いたり、
犬の首を絞めたりした動物愛護法違反(虐待)で、
理事長を書類送検したという。

暇があれば虐待していた

告発したのは、環境保護団体LIA。ホームページに
アップした証拠動画では、理事長が木製の細長い棒で
猫を執拗に叩く様子などがわかる。
まるで“百叩きの刑”だ。

「前々からいろんな人から情報をいただいて、
この理事長を調べていた」(LIA担当者)
と念入りな裏取りの成果を語る。

「日常的に虐待をしていました。暇があれば虐待する
ということです。
何かに怒ってやっているとかではないです。
犬の首を絞めている動画がありますが、
別に怒ってないんです。

首を絞めた後にニンマリ笑顔になっていますから」
と理事長の裏の顔をあぶりだした。

表の顔はなんとも評判のいいそれだった。
同NPOの事務所近くに住む古参住民は、
「犬の散歩のときに会えば“こんにちは”って
あいさつするし、人当たりのよい人でした。

愛嬌もあるし、いつもニコニコしているし。犬猫の
里親を探したり、野良猫の去勢手術などの活動を
していました。
地域にも貢献していたのでびっくりしています」
と戸惑うばかりだ。

同NPOのスタッフは、
「理事長は九州の大学出身で、熊本の震災のときも
寄付金を募っていたんです。それで熊本の動物病院へ、
自分の車で物資などを運んで行ったと聞いていたので、
虐待のニュースにはびっくりしました」

同NPOは2015年に設立された。
行政からの助成金は一切なく、基本的には寄付金
などで運営する団体。

「儲けはないんだよ、貯金崩しながらやって
赤字なんだよ、って理事長は言ってました」
(前出・古参住民)

NPO法人運営の一方で、ペットホテルや
ペットセレモニーの運営も手がけていたという。
ペットの葬儀を営んでいたお寺の住職は、
「ペットの供養をするところを探しているって、
飛び込みで来ましてね。

3~4年前かな。当初は、楽しそうにやっていた
気がしますけどね……」
お寺には供養料で1件3000円入るという。
供養するだけで、それまでの手続きなどはすべて
理事長の管轄だった。

事件発覚後、理事長から電話がかかってきた際、
「今は県外にいて……」と説明したきり、
姿をくらませている。

表と裏は全く違う顔
ペット産業をあれこれ手がけていた理事長だが、
以前、理事長が住んでいた神奈川県鎌倉市の
近隣住民は、「決して動物好きじゃない。
犬の扱い方も知りませんでした」と、きっぱり。

そればかりか仕事上も家庭の中も、問題を
抱えていたようなのだ。
「奥さんへのDVがひどかった。

結局、離婚したけれど、
奥さんはあざだらけ。殴る蹴るは当たり前で、
荷物はみんな2階から投げ捨てて、家の中は
ぐちゃぐちゃでした。

当時は注文住宅の会社を経営していましたが、
業績不振で破産手続きをしています。
昨年は、同棲していた女性に対してDVをして、
略式起訴になったと聞きました。

でも、人当たりはすごくいい。
表と裏がまったく違う顔です」
動物を虐待する地金が出たということだったのか。

・・・ 


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祖母は失踪、父と祖父が自殺。拒食症や会食恐怖を
抱える。取材から数年後に家族から電話が... ・・・

厚生労働省自殺対策推進室は10月12日、9月の
自殺者数(速報値)を発表した。
警察庁の自殺統計に基づいたもので、9月の
自殺者数は1,653人。

対前年同月比で168人、約9.2%減。2018年の
9月までの累計自殺者数は15,578人。
対前年比で1,141人、約6.8%減。2012年以降、
年間自殺者は3万人台を割っている。
また、2014年以降、9月段階で2万人台を割っている。

東日本大震災で被災。生きづらさは解消しない

年間自殺者減少の中でも、自殺者が出ていることに
変わりはない。取材をした男性、佐藤隆明(当時26)も、
その一人だ。

取材をしたのは2013年12月。話を聞いたのは、
東北のある被災地のファミレスだった。
このころ、頻繁に筆者は被災地の取材をしていた。
そのため、隆明の被災体験から話を聞いた。

震災の日、隆明は仙台のアパートにいた。
地震が起きて、すぐに外に出た。
「近くの交差点に多くの人が集まっていました。
携帯を見たら、M8.1、津波4mとありました。

警察も混乱していました。そのうち、雪も降って来て...。
夜9時には仙台駅に行きました。
明かりがついていませんでした。会社が避難所に
なっていたので、そこへ行きました。

ネットはつながらないので、翌日まで津波の映像も
見ていないし、原発事故のことも知りませんでした」

ただ、隆明の「生きづらさ」は、被災体験とは関連がなく、
震災以前の体験が大きい。
なかには、さらなる気分の落ち込みで、「生きづらさ」が
強くなる人もいるが、そうはならなかった。

反対に、震災を機に解消されたという人もいるが、
そのようなこともなかったようだ。

物心ついたときから、両親が喧嘩をして、包丁が
飛んでくることが当たり前だった
隆明が亡くなったとわかったのは、数年後の、
家族からの電話だった。

隆明がなぜ亡くなったのかのヒントを探していたとき、
メモ帳が見つかった。その中に、取材を受ける日時、
場所が書かれていた。

そのため、筆者の連絡先をネットで探した。
見つけることができたが、なかなか電話する勇気が
出なかったという。

2007年7月ごろ、父親が50代で自殺した。
家族の問題や借金があったことが理由ではないか、
と隆明は思っている。どうやら、父方の祖父も、
隆明が生まれる前に自殺している。

祖母は、隆明が16歳のころに失踪している。
そんな状況の中で、隆明は中学時代から「死にたい」
と考えていた。

家族関係はよいと言えるものではなかった。
両親が結婚をしたのは、父の姉の存在が大きい。
母親と同じ職場だったので二人を出会わせた。

「二人は望んで結婚したわけじゃないんです。
父の姉が無理やり結婚させたんです。
父は結婚するつもりはなかったんです。

そのためか、物心ついたときから、喧嘩をして、
包丁が飛んでくることが当たり前でした。
警察も来ていました。両親の仲が悪いのが
デフォルトだったんです」

高校のときは拒食症や会食恐怖。発達障害の診断も
16歳のとき、隆明は拒食症になって、心療内科に
通っていた。そこで「自律神経失調症」と診断された。

「基本、食べないんです。食べたとしても、
すぐに吐きました。それに人と会って食べるのも苦手で、
会食恐怖症ですね」

会食恐怖症は神経症の一種で、不安神経症や
対人恐怖症でもある。自律神経失調症をともなうことが
あると言われている。
アメリカ精神医学会の精神障害診断と統計マニュアル
5版(DSM−5)では、社会不安障害の特徴とされる。

他者の注視を浴びる可能性のある1つ以上の
社交場面に対する、著しい恐怖または不安。
例として、社交的なやりとり(例:雑談すること、
よく知らない人に会うこと)、見られること
(例:食べたり飲んだりすること)、他者の前で
なんらかの動作をすること(例:談話をすること)
が含まれる

こうした特徴が他の精神疾患や医学的疾患では
うまく説明ができないときに、この診断の基準となる。

「自覚したのは大学生のときです。
社会的な振る舞いは難しいんですが、就活では
コミュニケーションはできたんです。

パターンを積み上げていくと、ある程度できるようには
なったんです。だから、面接で嘘をつくのはできました。
経験則によってできるんですが、どこかで、うまく
いかない場面が出てしまうことがあります」

両親の仲が悪いのが基本だったため、幼い頃は
それが「普通」と感じていた。ただ、取材の1ヶ月前には、
心療内科で「発達障害」の診断も受けている。

発達障害は遺伝の可能性もあるが、育った環境も
影響することがあるとも言われている。

「風の音が喧嘩の声に聞こえる」両親の喧嘩があると
幻聴も・・・,隆明が初めて「やばい」と感じたのは
中1のとき。家族仲がより深刻になったからだ。

小さなアパートで、ちょっと大きな言葉で悪口を
言い合うと、周囲に聞こえてしまうことがわかった。
ラジオの音量を大きめにして、周囲に聞こえない
ようにもしていた、というが、実際に周囲に聞こえたか
どうかはわからない。

「自分が喧嘩を止めないと、どちらかが刺すんじゃないか」

険悪な二人であれば、離婚することも考えられるだろうが、
離婚はしなかった。「母が離婚しないのは、お金のため。
父親が退職金をもらうまで離婚しないだろうと
思っていました。

離婚して、慰謝料をもらったほうがいいのに、しない」
喧嘩は、何かの電話が発端のときが多かった。
そのため、中2のときには、幻聴が聞こえるようにも
なったという。

「風の音が喧嘩の声に聞こえるんです。
特に風が強いとダメですね。いきなり大きな音が
聞こえたりしても、喧嘩に聞こえてしまいます」

そんな幻聴がひどくなったのは高校2、3の頃。
3年でひどくなったので、高校には通えなかった。
自傷行為をするようになったのは高校3年生に
なってからだ。

それまで、ストレスがたまり、「死にたい」と考えたことは
あったが、そんな時は、拒食になっていた。

「生きていくことはできない」遺書を残して父が自殺

父親が自殺したのは、隆明が19歳になっていたときだ。
単身赴任先のアパートで亡くなった。縊首(いしゅ)だった。
「こうするしかない」「この先、妻と子どもを抱えて、
生きていくことはできない」と書き記した遺書があった。
遺産についても書いてあったが、母親は読ませて
くれないという。

「亡くなる一年前、父は、土地と家を買っています。
どうやら、両親の話し合いがあり、『あのアパートにいて、
息子が悪くなった。だから家を買う』という話だったようです。

母は『持ち家がないとダメ』という考えもあったようです。
でも、無理な購入だったようで、母が住宅ローンの
連帯保証人。母は『息子も、ローンを払うのが当然』
と考えているようです。
僕は払う必要はないんですが、どうしても
逆らえないんです」

これまでの生きづらさに加えて、支払いの
プレッシャーからか、より自殺が頭を過ぎるようになる。

「他にも(生きるための)手段があるかもしれない。
しかし、死ぬことに囚われるんです。
遺書も書いたんですが、母に見つかり、
破り捨てられました。

母は、父が亡くなっても淡々としています。
たまに悪口をいいます。そんなの、自死遺族の
反応じゃない。自責の念はないのかもしれない」

もしかすると、母にとっては、遺族であっても
淡々としていたり、悪口を言ったりするのは、
日常を平凡に過ごそうとする営みなのかもしれない。

しかし、隆明は文字通り受け止めてしまう発達障害の
診断を受けている。大学時代も「ネタをネタとして
受け止められない」ことで場をぶち壊したことが
あったのを覚えている。

「ちゃんと理由があるのに...」大量の薬を飲み、
病院へ運ばれる、そんな中で、お酒を飲んで、
首を吊ろうとしたこともあった。

錯乱したことで、紐が外れたという。
その後、薬を大量にのみ、さらに暴れて、
壁に頭をぶつけて、血を流していた。

そんなときに宅配の人が訪ねてきて、
119番通報されて、気がついたら病院に
いたことがあった。
その病院で「自分でまいた種だから」と言われたことを
ずっと記憶している。

「そんなことを言われて、被害者のような気がして来た。
自殺しか見えないけれど、死にたくて、している
わけじゃない。ちゃんと理由があるのに...」

レストランで話を聞いてしまったのだが、筆者は、
拒食症や会食恐怖を抱えているのを取材中に知った。
話を聞いていくうちに、苦手な空間だということわかった。

今度、取材するときには、別の空間を確保しなければ
ならないと思っていると、バスの時間が来てしまった。

「(体調が)よくなったら東京へ行きたい」とは
言っていたが、隆明は取材から数年後に自宅近くの
空き地で縊首した。叶わぬ約束になってしまった。

・・・


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2018年11月13日火曜日

妄想劇場・チャンネル掲示板

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若くて美しいことは、 自然のいたずら。
年をとっても美しいことは芸術です。
・・・(エレノア・ルーズベルト )


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30年以上にわたり開発…“果肉まで赤いリンゴ”

リンゴといえば白い果肉が一般的だが、長野県の
ある農家の男性が“果肉まで赤いリンゴ”を
開発したという。

「食べて、見て楽しめるものを」と30年以上にわたり
開発に取り組む男性。そして誕生したのがその名も
『なかの真紅』。

一見すると普通のリンゴのようだが、切ってみると
鮮やかな赤色の果肉だ。
赤肉リンゴは酸味が強く、加工用がほとんどだったが、
『なかの真紅』は生で食べても、甘味が強いという。

開発した吉家一雄さん(61)は、「ぎゅっと詰まった
甘みがある」と胸を張る。
「趣味で始めた」から5品種を登録するまでに…

そもそも、吉家さんは30年前、農業大学校時代に
観賞用の赤肉リンゴに出会い、「これをおいしく
食べられたら」と思い研究を始めたという。

吉家さん:目にやきついた。
こんな(食べられる)リンゴがあったらいいなって
趣味で始めた。

最初は趣味の域だったが、全国の産地や大学から
様々な品種を取り寄せては、交配を試し、
今や研究用の畑にはなんと、約5000種類のリンゴが
栽培されている。

ただ、赤く色付かなかったり、色付いても病気に
なりやすくなったりと商品化できないものが
ほとんどだったという。

「楽しんでいるだけだから苦労はない」と話す
吉家さんは、交配を繰り返す中、今年、ようやく
『なかの真紅』のほかに、甘みがあり生食に向く
『ムーンルージュ』と『炎舞』、加工向けの
『いろどり』と『なかののきらめき』の計5つの
品種を登録することができた。

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各地のホテルやレストランで重宝 吉家さんの
赤肉リンゴを去年からスイーツにして店舗で
出している

ミミエデン・宮下彩花さん:
こんなにきれいな色が出るんだってテンションが
あがった。せっかく赤いリンゴなので目立たせたい。
見た目、味全部を楽しんでほしい、
きれいなリンゴなので。

『なかの真紅』を使った秋限定のムースケーキは、
白と赤のコントラストが目を引く。

ほかにも料理関係者がその鮮やかな見た目に
注目し、吉家さんの赤肉リンゴは現在、県内外の
ホテルやレストランで重宝されている。

吉家さん:
まわりが喜んでくれるからうれしい。
もう一歩先を目指したい。

ふじとか津軽とかリンゴ3兄弟とかあるけど、
ああいうリンゴみたいに当たり前のように店で
売られて、当たり前のようにいろんな家族が食べて
くれるようなそんなリンゴになったらいい。


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島民が下したある“決断”

・外国人観光客も多く訪れる「ネコの楽園」で
 不妊手術
・島民9人全員が高齢者…過疎化も進む中での“決断”
・1日に172匹を不妊手術…島民の思いは?

島民9人に対しネコ100匹以上…「ネコの楽園」で
不妊手術

海外からも多くの観光客が訪れ、「ネコの楽園」
として知られる愛媛・大洲市の青島。
島民わずか9人に対し、100匹を超えるネコが暮らす
この島で、すべてのネコに不妊手術を行うことを
島の人たちは決めた。
島民は一体なぜ、ネコの不妊手術を決断したのか…

大洲市長浜町の沖合に浮かぶ青島の島民は
わずか9人。
宿泊施設はおろか自動販売機もないこの島に
住み着く猫は100匹以上だ。

5年前にネコの楽園としてブレイクし、世界中から
観光客が訪れるようになった青島だが、
これまでネコの世話をしてきた島民はある大きな
決断を下していた。

10月2日、20人を超える一団が島にやってきた。
持ち込まれたのは大量のケージ。
その数およそ130個。

高齢化と過疎化が進む中…島民が“決断”

公益財団法人どうぶつ基金・佐上邦久理事長:
3日間の間にすべてのネコを不妊手術する
ということで、大体130~140匹の未手術のネコを
手術してしまう計画です。

「ネコの楽園」が下した決断…、

それは島のすべてのネコに不妊手術を行うということ。
ネコの世話をしている島民(68):
今年また2人くらい(島を)出る。

1人はもう出ていて、また(もう1人)出るとなったら、
本当にこの人数だけで、ネコに餌をやり続ける
ことは困難。
だから3、4年前とは(状況が)違ってきました。

5年前、島には16人が暮らしていたが、今では9人…。
全員が高齢者だ。

高齢化と過疎化が進む中、青島ではこれまで
数十匹のネコに不妊手術を行ってきた。
しかし、ネコの数は減ることはなく、この日を
迎えたのだ。

今回、不妊手術を行うどうぶつ基金は、殺処分される
犬や猫をなくそうと設立された団体で、全国で
年間2万匹を超える不妊手術を無料で行っている。

捕獲を始めて分かったのは、島民の想像を
はるかに超える数までネコが増えていたということ。
その数は推定で200数十匹にも上るというのだ。

翌日、3人の獣医による不妊手術が始まった。
雄ネコは1分程度、雌ネコは15分程度で手術が終わる。
手術の終わったネコは経過を観察しながら、
麻酔から完全に覚めるまでスタッフが見守る

不妊手術は1日で172匹にも…島民の思いは?

この日手術を行ったのは172匹(雄97匹・雌75匹)。
獣医3人だけでこれだけの手術を1日で行うのは
初めての経験だったという。

翌朝6時、獣医がネコの状態を確認した後、
すべてのネコがケージから解き放たれた。

島民の男性(68):
(ネコは)放っといたほうがいいんじゃないかと。
これだけの金をかけて手間かけてっていうのは
あるけど、やっぱり自分たちがここにいなくなった
時を考えると、やっぱりそう(放っとけ)いうのも
いけないのかなと思うだけ…。

ネコの世話をしている島民(68):
今はもう自然にしていったら一番いい、
ネコも人も。普通の生活をネコと一緒に
この何年かできたらいいと思ってる。

いつかはこの島を離れることになるであろう島民と、
人に頼らないと生きていけないネコたち。
青島が下した決断は、私たち人間と動物との
かかわり方を改めて問いかけているのかもしれない。

そして、再び島にいつもの光景が戻った…。


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2018年11月12日月曜日

妄想劇場・the(ライフ)

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未熟な愛は言う、
「愛してるよ、君が必要だから」と。
成熟した愛は言う、
「君が必要だよ、愛してるから」と。
・・・
エーリヒ・フロム


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ひと昔前、「死ぬまでセックス」特集が週刊誌で
大々的に組まれたが、最近はお堅いNHKでも
老後のセックスを取り上げるご時世である。

近い将来「100歳まで生きるのが当たり前の
時代になる」と言われるニッポンの超高齢社会。
高齢者の性事情とスローなセックスライフについて
考えたい。

埼玉県南部にあるデイケア施設に通う清水さん
(56歳・仮名)は二年前、職場で作業中に脳梗塞で
倒れたが、緊急手術により一命をとりとめた。

当初は社会復帰を目指しリハビリに励んでいたが、
右半身の麻痺が悪化する一方で、若くして施設に
通う事を余儀なくされたという。

そんな清水さんには、あるヒミツがあるのだと
施設関係者が声を潜める。
「ずっと独身のあの人は、女性と付き合った
経験がないらしいんです」

施設に入居した頃は、女性職員が声をかけると
顔を紅潮させ、しどろもどろで返答するか、
聞こえないふりを決め込んで脂汗を流していたほどの
純情っぷりで、会話も成り立たないほどだった。

当然、女性介護士による食事や排泄の介助も
拒絶し、数少ない男性介護士が順番で清水さんの
世話をしていたのだというが、30代の女性介護士・
Y美さんの献身的な介助が清水さんの心を開かせた。
……と、ここで終われば美談だが、現実は
明後日の方向へ進んだ。

「Y美さんは既婚で二児のママさん。とにかく
気立てが良く、施設の入居者の誰からも人気でした。
清水さんはそんなY美さんから優しくされた事で
好意を持ち、ラブレターを出してしまった。

ただ、これも珍しいことではない。
清水さんの場合は、その先が予想外でした」
女性の優しさに触れ、還暦直前に甘美な“恋愛感情”が
芽生えた清水さん。

はじめはY美さんにお菓子などのプレゼントを
持ってきたりする程度だったが、日が経つにつれ、
Y美さんではない介護士が清水さんの介助を
しようとすると怒鳴りだし、Y美さんが休みの日は
不機嫌になりモノや入居者に当たり散らし、
ほとんど手がつけられない状態になっていった。

優しいY美さんも、さすがに清水さんを敬遠し
つつあったが、決定的な事件が起きる。

「Y美さんが毛の濃い清水さんにクスリを塗りながら
“毛深いですね”とつぶやいたのですが、翌週には
首から下の毛が一本残らず剃り上げられていました。

聞けば高齢の母親に手伝ってもらい、
全身を除毛したのだと…。
その直後にはY美さんのエプロンが無くなる騒ぎが
あったのですが、清水さんのバックから発見され、
広げると汚されていました」

すっかり勘違いした清水さんは…

気味悪がっていたY美さんのよそよそしさを見て、
清水さんはこれまでの言動を反省するのではなく、
自分に気があるとでも勘違いしたらしい。

なんと、Y美さんの前で婚姻届を取り出すと、
職員や入居者の前でプロポーズをしてしまったのだ。
気丈に振舞っていたY美さんもすっかり参ってしまい、
グループ内の別施設に逃げるように異動した。

一方、施設に通い始めた二年前の照れ屋で
純情だった面影はすっかり無くなり、今では
妙な自信に漲っている清水さんは、今度は
いろいろな女性へ向けて婚活に勤しんでいる。

「Y美さんの後に“惚れた”女性職員の為に、
髪を染めたり眉毛を整えたりしていましたが
呆気無くフラれました。

すると今度は、新卒の若い事務員女性の
気を引こうと、母親の年金で永久脱毛に
通っています。

女性に介助されていい気分になるのはある程度
理解できますが、清水さんの場合は手当たり次第に
女性職員にセクハラを仕掛けるようになり、
すでに四人が辞めるか、異動しました。
“半径50cm以内に近づくと求婚される”と、
女性職員は気味悪がって誰も近づきません」

清水さんの奮闘ぶりを滑稽と笑うのは簡単だ。
しかし、日本の将来を考えたとき、彼の姿は
特殊な例とは言い切れない時代が来るのではないか。

たとえば昨年、女性との交際経験がない男性が
20代未婚男性で53%にものぼったという
調査結果がある(安田生命生活研究所調べ)。

いま20代の男性が50代、60代になったとき、
現在よりもずっと多くの人が「交際経験なし」
になるだろう。異性との交際経験を積んでこなかった
高齢者が、介護という仕事を自分への好意と
勘違いしてしまう事態が、もっと頻繁に起きる
と容易に想像できる。

“相手は老人”かつ“お客さん”として接するがあまり、
清水さんのような婚活暴走老人が生まれて
しまったというわけだが、現在でも彼の例は
特殊と言い切れるものではない。
関係者以外に知られていないだけだ。

実際に、介護職員に思いを募らせるあまり
ラブレターを渡す高齢者は珍しくないし、
職員の身体を触るなどのセクハラは日常茶飯事だ。

笑えそうで笑えない、超高齢化社会の
我が国で起きている現実。
今は取るに足らない小さなこと、特殊な事例だ
と思うかもしれないが、見過ごしているうちに
大きな社会的問題になるだろう。・・・


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85才にして、あえて一人暮らしを続ける矢崎氏は、
伝説の雑誌『話の特集』の編集長を創刊から
30年にわたり務めた経歴の持ち主だ。  

現在も、ジャーナリストとして新聞、雑誌などに執筆、
講演などでも活躍する傍ら、炊事、掃除、洗濯も
自ら行う多忙の日々を過ごしているのだが、
先日、体調に大きな異変が起きたという。

大事に至るようなハプニングを乗り越えた矢崎氏に、
事の顛末、近況、暮らしの心構えなどを
綴っていただいた。  

駅のホームで突然気を失った!

我が盟友・故永六輔は、よく転んだ。
それも所かまわずに転ぶ。街角、旅先、家の中。
捻挫、骨折をのべつ繰り返した。

パーキンソン病とわかったのは、亡くなる5年ほど
前のことだった。あんまりコロコロ転ぶので、
ある日、覚悟して精密検査を受けたのである。

人生は確かに七転び八起きではあるが、
肉体的に転ぶのは怪我になる。
怪我の功名などと笑ってばかりはいられない。

恐ろしいのは、突然、意識を失って転ぶ、
いや、転倒する事態だ。
永さんはそれをやって週に2度救急車で
病院へ運ばれたこともあった。

さる、10月1日の夕方、私は渋谷の井の頭線
ホームで気を失って倒れた。
頭、腰、膝などを打撲したのだが、気が付いた
時には駅のベッドに寝ていた。

どのくらいの時間が経過していたのか不明だったが、
駅員の方が私を覗き込んで「救急車を呼びますか?
それとも、どこかへ連絡されますか?」
と意識の戻った私を覗き込んで言っていた。

私が覚えていたのは、ホームで電車を並んで
待っていたところ、大地震が起きたかのように
脚が揺れ始めた。つぎの瞬間脱力して、
バッタリ倒れたのである。

そこまでしか覚えていなかった。
気付いたらベッドに寝かされていたのだった。
携帯(ケイタイ)をポケットから取り出し、友人の
医師に電話をかけた。私にとって、日頃から
世話になっている主治医でもある。

すぐに、U先生が出てくれた。
事情を話すと、「タクシーに乗せて貰って、
私の病院へ直行して下さい」と言う。

渋谷から病院のある高井戸までは、早ければ
30分で行ける。車椅子に乗せて貰い、
無事タクシーに乗ることが出来た。
とても親切に扱ってもらい、駅員の方々には
心から感謝した。

事故の対応も素晴らしかった。感謝感謝!

やや渋滞していて、45分程で病院到着した。
閉館時間だったが、スタッフ全員で待っていて
くださったのだ。

血圧280、白血球は1万を超えており、
U先生の診断では「一過性脳虚血発作」という
ことだった。早速手当を施していただく。

人間は脳発作では後ろへ、心臓発作なら
前へ倒れるという。このことは、前から知っていた。
もし、心臓だったら、ホームから転落していただろう。
直前に電車が入ってきていた。まったく
一寸先は闇である。

家で安静にして、様子を見ることになってホッとした。
入院などということにいなったら、たちまち
日常が崩れる。

ま、不幸中の幸いだったと駅員の方々、
そして安全運転してくださったタクシー・ドライバー、
むろんU先生に感謝しつつ、自室ベッドに
横たわって数日安静に過ごした。

煙草とコーヒー豆と食材を買い出しに渋谷へ
行ったのだが、街も売り場も夕方とあって
大混雑していた。原因はストレス以外に
考えられないのだが、・・・
アタマに血が上った理由は思い浮かばない。・・・

それはさておき、私が心からお勧めしたいことは、
何かの時に電話口に直接出てくれる主治医を
持ちなさいとうことである。

いきなり救急車で見知らぬ病院へ運ばれ、
手当を受けることは、思ったよりも大きな
リスクを伴う。

実際に、のべつ転んでいた頃の永さんは、
その被害を受けていた。
彼の場合は有名人でもあったので、たちまち
メディアに知られ、他の病気についての
プライバシーを流されてしまっている。

つまり、大病院の医師ではなく、いわゆる町医者
(小さな開業医)であってもいいから、親しい医師を
知っていれば、突然病気になっても適切な
アドバイスを受けることができる。

最も怖いのは、自分だけの判断で勝手に
行動してしまうことだと思う。
肉体的な異変が起きることを習慣化させて
しまうことも良くないし、まして素人の知恵で、
病気を拡大することだってある。

病院嫌い医者嫌いも、年齢と共に寛容になることが
大切だと、私のような野蛮人にもようやくわかった。
頼れる医師を友人にもつ。つまり、主治医と言える
大げさな存在でなくても、気楽に付き合ってくれる
医師を探しておくことは、老人や幼子(おさなご)に
とっては、必須条件ではないだろうか。

昨今は二人に一人がガンになる。だからと言って、
のべつ不安に思っていたのでは、うっかりすると
詐欺に引っかからないとも限らない。

ノーベル賞の先生が、オプジーボが有効な人は
20%だといっているのに、マスコミは万能薬
扱いしている。もって銘するべきではあるまいか。

悠々自適独居生活の極意ここにあり。・・・


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2018年11月11日日曜日

妄想劇場・the ライフ


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恋はまことに影法師、いくら追っても逃げていく。
こちらが逃げれば追ってきて、
こちらが追えば逃げていく。
  ・・・(シェイクスピア) 


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夫の不貞を非難する。そこには、まだ愛してほしい、
という気持ちがあるのかもしれない。
本当に恐いのは、「夫の死」を願う妻。

閲覧注意のネット掲示板には戦慄する妻たちの
ホンネが溢れていた。

死体で帰って来い!
〈毎日、警察からの電話を楽しみにしてるんだから。
死ねーー!死体で帰って来い!
赤飯炊いてやるから!
今日こそ帰って来るな!〉(すべて原文ママ)

この台詞は、「このハゲーー!」の豊田○由子議員に
よるものでも、夫・船越英一郎の不貞を暴露した
松居○代のものでもない。

一般家庭の女性がインターネット上の投稿サイト
「だんな デスノート」に書き込んだものである。

連日報じられた船越・松居夫妻のドロ沼騒動
のなかで、この投稿サイトがにわかに注目された。

モラハラや浮気、容姿の劣化といった夫への
不満をウェブ上でぶちまける、妻たちのオアシス。

そこでは、「松居○代さんに共感します」
「松居さんも傷ついたのでしょう」「船越さんと
うちの屑旦那との共通点もあります」などと
松居を支持するコメントが多数寄せられている。

このサイトの目的は「旦那に死んでほしい」
という願いを書くこと。
一日のアクセス数は20万件に上り、夫への
罵詈雑言が連なる。

〈わたしの人生最大の喜びはアイツの無様な
屍を前に大笑いしながら家族とハイタッチ
する事です〉

〈同じ墓に入るのも嫌だわ!お前が先に死んだら
死後離婚して、お前の身内全てと縁をきってやる。
さぁ早く死ね!〉
〈朝起きたらクソヤロウが冷たく死んでますように〉

サイトの管理人を務める「死神」こと牧田幸一朗氏は
語る。「僕自身、母親から父親の悪口を聞かされて
育ちました。その経験がトラウマになり、人間関係が
上手くいかない時期もありました。

今思えば、母親が父親の悪口を言うのは、
日頃ストレスが溜まっていて、積もり積もって
爆発していたのだろうな、と。・・・

ならばネット上で吐き出せる場があっても
いいのではと、このサイトを立ち上げたんです」

その狙いは妻たちに支持され、現在、会員数は
1万人を突破。ありとあらゆる夫に死んでほしいワケが
綴られているが、大別すると以下のようになる。 

ATMとしか見てない

ケース①家事をしない夫への不満

仕事を理由に妻に家事を一任している男性に
多いケース。
下手に「手伝う」と申し出て、「煩わせるな」
とますます怒りを増幅させる場合もある。

〈ダメ夫にも家事をさせたいのでゴミ捨ての
担当にしている。雨降りの朝、ゴミ捨て
面倒だからと、玄関外にゴミを置いて仕事に
行ってた。
おいおい、お前何やってんだ!夏の暑い時期に
ゴミ置きっぱなし、しかも玄関先に〉

〈どーしてバスルームに洗濯物干してんのに
そのままシャワー浴びるわけ??
かなりキツく注意したけど何で同じこと2回も
繰り返すの????そりゃアナタはデブだから
早くシャワーで汗流したかったんでしょうけど……〉

ケース②金銭面の不満

借金はもちろん、生活費、日々の小遣い
トラブルまで大小さまざま。
「夫が退職金を渡さない」と妻と娘二人に
殺された事件が脳裏をよぎる。

〈借金まみれの結婚生活、働かない
お前のせいだろ!!
かえせないなら腎臓売って返済する位の
覚悟しろ!!〉

ケース③性への不満

ネット掲示板という匿名性が気を大きく
させるのか、あけすけな性の不満が特に多い。

〈エッチしても入れても入れなくても分からないような
小さな粗末なモノも退化していくだろう。
みこすり半とはお前のことだよ。
テクニックも何もない小学生以下のエッチのくせに、
一丁前に要求してくる〉

〈性欲が強すぎる旦那が気持ち悪い。
触られるのは絶対嫌だから嫌々風俗のように
相手をする。

一度射精しても30分後にはすぐ、勃つ。
また相手をしなければいけない。
ひどいときは、連続3回も。暇さえあれば
裸を見せろと強要してくる〉

〈てめぇの女房いい女房だろ?
いつもニコニコ、美味しいご飯作って家の中も
綺麗にして家事も完璧だろーよ?
てめぇの変態風俗通いもぜーんぶ知ってるよ!
何で何も言わないかって?
てめぇの事ATMとしか見てねぇからな〉

こうした身の毛のよだつ叫びは、氷山の
一角に過ぎない。
なぜ彼女たちはネット掲示板を選び、
書き殴り続けるのか。・・・

「女子会のガールズトークでは、さすがに
ここまでは言えません。
夫をこれほど罵倒していると、そんな夫を
持っている自分が惨めに思えて、自らの
プライドが傷ついてしまうんです。
匿名を担保されたネットならではの言説ですね。

でも実際は、デスノートの投稿には共感できる
ものも多い。『夫に死んでほしい』という感情を
妻たちは当たり前にもっていますから。

ママ友同士で公園に集まっておしゃべりしていると、
綺麗な奥さんが『うちの旦那、出張で東京へ
行っているの』。

周りが『いいね、お土産買ってきてくれるかな』
と返すと、彼女は青空を見上げて微笑みながら
『飛行機が墜ちてくれないかしら』とつぶやいた。

それを受けて、みんな『あはは』と
共感の笑いが起きました」

本当に恐ろしいのは・・・ 

極めて日常的に「夫に死んでほしい」と願う
妻たち。それほどならば、離婚してしまえば
良いのでは、と思うが……。

「独身時代より生活水準は上がっていますから、
その水準を手放せない。子供もいれば、
なおさらでしょう。

さらに、夫がごねれば手続き上の手間もかかる。
夫が死んでくれれば、未亡人として死亡保険金を
受け取れるし、離婚の手間も省ける、
そんな心理が潜んでいるのです」・・・

やっと永眠しました

そんななか、夫の死を願って、思いも寄らぬ
「行動」を起こす妻もいる。

〈お前は気付いてないみてぇだが子供と二人で
回転寿司いったりお前の歯ブラシでトイレ掃除
したりしてるからなァ!!〉

〈旦那の食事は高脂肪、糖質高めで、確実に
病気になるよう日々仕込み中。心筋梗塞、
脳梗塞で一気に逝けばいい〉

〈排水口洗った歯ブラシ使ってる姿を見るのが
唯一の楽しみ

大阪大学人間科学研究科招へい教授の
石蔵文信氏は言う。

「夫へのストレスを抱える女性に向けて講演する際、
『夫の殺し方を想像してみましょう』と投げかけると
大いに盛り上がりますよ。

日々の生活でも、『夫の歯ブラシで掃除』、
『夫の味噌汁に鼻くそを入れる』などはザラに
聞く話です。

ただ、これだけ過激な思考をしている妻が、
実際に家庭内で旦那に激しく不満をぶつけているか
というと、そうでもない。家庭では表面上いたって
貞淑な妻を演じているのです」・・・

では、妻を「毒妻化」させないためには、
どうすればいいのか。石蔵氏が続ける。

「妻は火山と同じで、機嫌が悪くても普段は
黙っていて、夫の気付かないうちにマグマ溜まりを
形成している。地底のマグマが噴き出る前に
気が付くポイントがあります。

まず、妻が旦那に文句を言っている時期は、
まだ夫婦関係は修復可能です。
次に、妻が黙り込むようになると、深刻。
妙に親切になると、最終手段を考えている段階
と思っていいでしょう。

取り返しがつかなくなる前に話を聞くように
するのが賢明。ことわざに『男は敷居を跨げば
七人の敵あり』とありますが、実際は
『帰宅しても一人の敵あり』。

「演技でもいいので、妻の話に『そうだね』
と相づちをうつだけでいい。
男性は無意識に、妻の発言の後、自分の
発言の前に『そうじゃなくて』と否定表現を上からか
ぶせがちです。すると、女性は全否定された
気分になってしまいます」

見なければ、知らなければ良かった。
夫たちにとって禁断の扉となっている「だんなデスノート」。
最後に、努力が実り、夫の死を「成就」させた妻を
紹介しよう。

「永眠」と題したその投稿には
〈やっと旦那が死んでくれました。
お酒を飲み、そのまま倒れ、そのまま逝きました〉
とある。

この内容を受け、「本当に羨ましい」
「おめでとうございます」「お疲れさまでした」
と祝福の声が殺到した。

本当に恐ろしいのは、家でニッコリと微笑んでいる
妻なのかもしれない。・・・


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小さい頃から私と彼はいつも一緒でした。
周りがカップルに間違えるほどの仲でした。
私が彼に恋愛感情を抱いていると気付いたのは
高3のときです。

今思うと、その前から恋愛感情を抱いていた
と思います。
近すぎた距離と今の関係を、恋人ではないけど
彼にとって特別な存在である自分の立場を
壊したくないという思いから気づかないフリを
していたのだと思います。

私が自分の気持ちに気付いたきっかけは、
友達が彼のことが好きだと私に打ち明け、
今まで2人きりだった登下校に友達が
入ってきてからです。

何故だかわからないけど、2人が楽しそうに
話している様子をみるとイライラし、2人でいる
時間が少なくなったなと思うたびに胸が痛くなり、
寂しくなりました。
自分でも最低だと感じるようなことを
思ったりしていました。

決定的だったのは、友達の告白を彼が断ったとき、
ホッとした自分を感じてからです。
この時から私は幼なじみとしてではなく、
好きな人として意識していきました。

ずっと気持ちを伝えられず、私は大阪に進学、
彼は地元で就職と離れる時期になってしまいました。
もう少しで大阪に行かなければならないという時期、

私達は私が向こうに行く前に会う約束をしていました。
私にとって最後のチャンス、気持ちを伝えよう
と思っていました。

約束の日、待っていた私を見つけたかれは
手を振りながら走ってきました。
だけど、彼の姿は私の目の前から消えていました。
ハッとした時、彼は頭から血を流しながら
横たわっていたんです。

頭が真っ白になり、状況に付いていけずその場に
立ち尽くすことしかできず、状況に頭がついて
いった時には人目も気にせず泣くことしか
できずにいました。
彼の名前を必死に呼び、泣いていたことしか
覚えていません。

彼は病院に運ばれ、お医者さんのおかげで
命は助かりました。
だけど、意識は戻りませんでした。

目を瞑った彼のそばにいるとき、看護師の方が
私に小さな紙袋を渡してきました。
中身は私への誕生日プレゼントとメッセージカードでした。
彼はその日から目を覚ますことはありませんでした。
私が専門学校を卒業する春、彼は息を引き取りました。

カードには
「H誕生日おめでとう。Hに伝えたいことがあります。
俺はずっと前からHが大好きです。
幼なじみのようにしか思ってないかもしれないから、
突然で驚いてると思うけど、もし、同じ気持ちだったら

28日に今日の待ち合わせ場所と同じ場所に
今日と同じ時間に来てください。
その時は、手紙じゃなくて言葉にして伝えます。」

私は今でも28日には彼との待ち合わせ
場所に行き、お供えの花束と彼への想いを
綴った手紙を添えています。

当たり前だと思っている日常は当たり前ではない。
1日1日を今日が最後かもしれない、伝えられるのは
今日が最後かもしれないと思い、1日を過ごせた
感謝をしながら生きていかなければならない
と感じました。

私の想いはあの頃から変わりません。
いつまでたってもあなたは私の特別です。
私の想いが遠いあなたに届きますように
・・・・ 


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2018年11月10日土曜日

韓信外伝 -春秋の光と影 (楚王逃亡)


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アングラ小説です、不快感がある方は、
読むのを中断して下さい

Kensin1

メジャーでは無いけど、 こんな小説あっても、 
良いかな・・・

Kansin

春秋末期の楚は、愚者たちによって
統治されていた。
能者は他国へ流れ、賢者はそねまれ死を
強要される。
しかし変革に立ち上がった者たちにも行動に
統一性は見られないのであった。

ある者は祖国を改革しようとし、ある者はあえて
祖国を滅ぼす、と主張する。
彼らはそれぞれに信念があり、正しかった。
誰が間違っていたというのか。 ・・・

韓信外伝 -春秋の光と影 (楚王逃亡)

「兄上」決断した闔閭の前に、ひとりの男が進み出た。
闔閭の弟、夫概ふがいである。
外見的には、とりたてて特徴のない男である。

背は高からず低からず、目は大きからず小さからず、
体は太からず細からず……能力的にも、
これまで闔閭は弟に助けてもらったためしがない。

先の王である僚を暗殺して王位を奪ったときも、
彼を助けたのは専諸であり、弟は一切関知していなかった。

その弟である夫概が、このとき初めて自分の意志を
示そうとしたのである。が、闔閭はこの弟のことが、
まるで眼中になかった。少なくともそのときまでは。

「私も兵を率いて、従軍したいのです」
夫概は遠慮がちながらも、そう主張した。だが、
それに対しての闔閭の反応は鈍い。
「お前が? なぜ」いまさら、という気持ちであったのだろう。

闔閭は、この夫概の希望をにべもなく拒否した。
待機を言い渡したうえで、夫概の所有する軍勢五千人を、
自らの所属としたのである。

夫概は当然の如く、これに不満を覚えた。
邪険にするにもほどがある、と。しかしそれは、
誰が見ても当然の沙汰であった。

呉軍の進撃が続いた。楚の人々が誰も知らぬうちに、
もともと従属国であったはずの唐や蔡が呉の側に
靡いており、誰もがその事実に恐怖した。

呉と楚は五度の会戦を経験し、そのすべてが
呉の勝利に終わった。いま、呉軍は郢に近づいている。

「郢は危機を迎えようとしています。お逃げください」
包胥は嬴喜を前にして、言葉少なに状況を説明した。
だがもちろん嬴喜は、言われるまま従おうとはしなかった。

「私と軫さまは、国に対して責任ある立場です。
そのような立場にある者が、そそくさと逃げ出して
よいものでしょうか」
嬴喜の表情には、やや怒りが込められている。

それは珍しいことであった。包胥はそのことに
驚きを隠せなかったが、しかし……彼女の言うことは
正論のようであって、そうではない。

「王さまと、あなた様のお命が失われたとき、
誰が国に対して責任を持つとおっしゃるのですか。
しかも……そもそも国というものは、人の集合体です。

たったひとりやふたりで責任を負えるようなものでは
ございません。どうか……私の言うことをよくお聞きになり、
お逃げくださるようご決断ください」
包胥の語り口に熱がこもり始めた。

隣に控える奮揚は、彼がどう嬴喜を説得するかを
注目した。不謹慎ながら、興味を持ったのである。
包胥どのの唱える「道」の神髄を、太后さまが
理解しうるか……。

おそらく包胥どのにとっては、もっとも理解して
もらいたい相手であるに違いない。
なぜなら、このふたりは惹かれ合っているのだから
……。しかし、事態が深刻であることに変わりはなかった。

奮揚はその思いを表情に出さず、ふたりの会話を
見守った。「……呉はもともと我が楚の従属国であった
唐国と蔡国を従え、国境を侵しました。

今回の出兵には呉王闔閭が親征していると
聞き及んでおります。その軍勢を迎え撃った
令尹嚢瓦は、柏挙はくきょの地で戦いに敗れ、
鄭に逃れました。

すでにその後、楚は五度も呉軍に敗れ、
今に至っております。……

伍子胥が来ます! あの、復讐に怒り狂った男が! 
すでに平王さまはお亡くなりになっておりますが、
それで諦める彼ではない。

彼は、平王さまへの復讐の代わりに、あなた方の
お命を狙う。絶対に見つかってはなりません。
彼に……復讐を遂げさせてはならないのです!」

包胥の言葉は脅迫めいていたが、随所に彼の
心の中にある人間愛をうかがわせるものであった。
彼は、伍子胥の手から嬴喜と、その息子の楚王軫を
守ろうとするばかりでなく、敵である伍子胥その人をも
救おうとしているのである。

それは、かつて彼が伍子胥と友人関係にあったからか、
それとも人が悪に陥るさまを見たくないという気持ちからか
……奮揚には、その双方のように思えた。

だが、嬴喜は包胥の思いをわかっていながら、
それに反発しようとした。

「あなた様は、どうするつもりなのです。仮に私たちが
郢を脱出するとして、行動を共にしてくれるのですか」
それも重大な問題であることには違いない。

王と太后のふたりだけに逃避行をさせるほど、
危険なことはないのだ。道中で彼女らになにかが
あったとしても、それを知る者がいなければ……

誰かが彼女らの身を守らなければならない。
「残念ですが、私はこの国の大夫のひとりとして、
呉と戦わなければなりません。
同行することはできません……。

代わりと言ってはなんですが、ここにいる奮揚が、
その役を担います。どうか、彼を私だと思って
信用してください」

奮揚は、突然の包胥の発言に驚いてしまった。
武人たる彼に与えられた役目は、王族を守ることであって、
戦場に立つことではなかったのである。

「包胥どの、役目が逆ではないのか。
君にもしものことがあれば、太后さまはどうなる。
もともと武人である私を差し置いて、武人ではない君が
戦場に立つとは、いったいどういう料簡なのだ」

包胥の考えが理解できず、口調がしどろもどろに
なりかけた奮揚であった。
しかし彼は、その後にひとつの考えに思い至る。

包胥どのは、伍子胥と対決しようとしているのだ。
自らの手で彼を救おうと……。
その考えを裏付けるように、申包胥は奮揚に向かって
言い放った。

「以前、私と伍子胥はお互いの考えを打ち明け
合ったことがあった。彼はそのとき、『楚を潰す』
とはっきり言った。

それに対して私は、『楚を生き存えさせる』と返したのだ。
これは、私と伍子胥の対決なのだ。
結着をつけなければならない」

・・・つづく


愚人は過去を、賢人は現在を、狂人は未来を語る・・


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「え!?まただ」
小百合は、車のハンドルを握りながら、その偶然に
驚いた。 ことの起こりは、一ヶ月ほど前のことだ。

大沢小百合、22歳。 地元の大学を卒業して、
念願の保育園に勤めている。
ところが、一つ問題があった。車の免許を
持っていなかったのだ。 

自宅から保育園までは、電車と徒歩だと、
二度も乗り換えた上に、 グルッと遠回りして
2時間近くもかかってしまう。

就職が決まると自動車学校に通い始めたが、
元来の運動オンチ。 3回も仮免に落ちてしまった。 
周りの友達からは、「どん臭いなあ」
と言われ、落ち込んだ。

そして、新学期の始まるぎりぎりになって、 
免許証を手に入れることができたのだった。

小百合は、慌てて中古車センターで真っ赤な
軽自動車を買い、 ローンを組んだ。

ところが、ただの若葉マークではない。
運動オンチが、 どうにかこうにか手に入れた免許証だ。 
バックの車庫入れはもちろん、信号で右折するたびに
心臓が高鳴った。 通勤を始めて3日目のことだった。

朝の通勤時間帯は、町の中を南北に貫く
片側一車線の県道は渋滞しっぱなし。 
ノロノロとしか動かない。運転席では誰もが
イライラして、 ヒゲをそったり、新聞を読んだり
している者さえいる。

その県道を南下して、途中、右へ曲がってしばらく行くと
保育園にたどり着く。 その交差点には信号がない。
それどころか、路地のような狭い道路で、 
左右から来る車はほとんどない。

小百合が右折しようとしてウィンカーを出すのだが、 
正面からやって来る車は、誰も停まってくれない。
チカッ、チカッ、チカッ。

ウィンカーが何度も鳴る。振り返る余裕などないが、 
どうやら小百合の後ろは大渋滞を引き
起こしているようだ。

チカッ、チカッ・・・。
焦った。なんとか右に曲がろうとするが、誰も
譲ってくれない。 本当は、少しでもセンターライン寄りに
停車すれば 後続の車も追い抜いてゆくことができる。 
しかし、小百合にそんな芸当は無理な注文だった。

プァーン。
後ろの車が、クラクションを鳴らした。 
身の縮む思いがした。

その次の瞬間のことだった。 一台の大型トラックが
小百合の車の前で停まった。

ピカッピカッ!
大きなヘッドライトが二度光った。 (助かった) 
小百合は、夢中でハンドルを切っていた。 
保育園の駐車場に車を止めて気が付いた。 
手のひらどころか、全身冷や汗でぐっしょりだった。

こんなことがあるのだろうか。 二度あることは三度ある。
小百合はたった10日間のうちに、 三度も同じ(?)
と思われる大型トラックに救われた。

「え!? まただ」
二度目までは気が付かなかったが、今日、それが
同じトラック、 同じ運転手であることを確信した。

相手も、同じ時間帯に仕事で同じ道を通るのだろう。 
それにしても、なんて優しい・・・。

チラッと見ると、黒いサングラスをかけた、 
マッチョな中年男性がハンドルを握っている。

小百合は、この人に直接「ありがとう」を言いたかった。 
ちょっと大袈裟だけど、命の恩人くらいに感じていた。

(なんとか恩返しがしたいなあ)
しかし、どこの誰かもわからない。ナンバーも覚えていない。 
道路を走っていても、歩いていても、 似たような
トラックが走っていないかとキョロキョロ探す。

そう思いつつも、新人として子供たちの世話に
追いまくられる日々を過ごすうちに、 2年近くが
経ってしまった。

そんなある日、小百合が日曜日に近くのスーパーに
出掛けた時のことだった。 買い物を済ませて、
自分の車へと歩き始めると、

ブーブー。と駐車場にクラクションが鳴り響いた。 
見ると、一台の乗用車が立ち往生している。 
運転席にはかなり歳を取った男性がハンドルを
握っている。

助手席の奥さんと思われるお婆さんが、
窓から顔を覗かせて 周りにペコペコと
頭を下げている。

どうも、狭いスペースに車を止めたのはいいが、 
出ようとして動けなくなったらしい。 
小百合は思わず駆け出していた。

「運転を変わりましょう」

そう言うなり、お爺さんを降ろして運転席に
乗り込んだ。 自分が運動オンチであることなど
忘れていた。 慣れない車のハンドルを何度も、
何度も切り返す。

夢中だった。知らず知らず、歯を食いしばっていた。
「よし!」 車は見事に脱出した。
「ありがとうございます」
老夫婦は何度も何度も、小百合に頭を下げて
お礼を言った。 しかし、早く立ち退かないと、
次々と入ってくる車の邪魔になる。

「何かお礼をさせて下さい」とお婆さんが言った。
「いえいえ、お互い様です。早く出た方がいいわ」 
「それでも、何か・・・せめて住所とお名前だけでも」 
「今度、どこかで困っている人がいたら
助けてあげて下さい」

そう自分で言ってから、小百合はハッとした。
(あっ、これでいいのか) そして、心の中で呟いた。

「サングラスのおじさん。
3回も助けてくれてありがとうね。  
ちゃんと次に回しておきましたよ」・・・



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2018年11月9日金曜日

韓信外伝 -春秋の光と影(楚王逃亡)

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アングラ小説です、不快感がある方は、
読むのを中断して下さい

Kensin1

メジャーでは無いけど、 こんな小説あっても、 
良いかな・・・


Kansin

春秋末期の楚は、愚者たちによって
統治されていた。
能者は他国へ流れ、賢者はそねまれ死を
強要される。
しかし変革に立ち上がった者たちにも行動に
統一性は見られないのであった。

ある者は祖国を改革しようとし、ある者はあえて
祖国を滅ぼす、と主張する。
彼らはそれぞれに信念があり、正しかった。
誰が間違っていたというのか。 ・・・

韓信外伝 -春秋の光と影(楚王逃亡)

「嚢瓦という男は、我々が思っていたより
悪人であった。
なんだあの男は」奮揚は、愚痴をこぼすような
口調で包胥に訴えた。暗に、指揮官として
嚢瓦を選んだ彼の決断を批判しているのである。

「唐国や蔡国にずいぶんと迷惑をかけて
いるらしいな。私腹を肥やしているとも聞く。

伍子胥や伯嚭のような有益な人材を他国へ
奪われた原因を作ったばかりでなく、
倫理的な感覚も欠けているようだ。……

だが、私はこうなることを予想していたよ」
驚くことに、包胥は自軍の敗北も想像していた
と言うのである。奮揚は、包胥が正しい判断力を
維持しているのかどうかがわからなくなった。

「あえて負けるための作戦を立てたというのか? 
それは……許されることなのか」
その奮揚の問いに、包胥はひと言で答えた。

「悪は、敵の中にのみ存在するとは限らない」
ああ、そうだった。包胥が社会に求めているのは
人の善であって、それは国という枠組みにとらわれる
ことのないものであった。

もし彼が、国というものを前提に考えるのであれば
……言い換えれば、楚の国民のひとりとして自分が
為すべきことを考えたのであれば、自国の悪を
除くために、あえて苦しい選択をしたということだ。

「君が出した答えは…呉との抗争をきっかけにして、
国内の膿を出し切るということか。だとしたら、
郢は戦渦に荒れることになるかもしれない」

奮揚は包胥の考えに賛意を抱きながらも、
不安を抑えきることができず、そのように質問した。
それに対して包胥は、理解を示した口調で応じた。

「もちろん私にも未来が見えるわけではない。
だが奮揚どのの言う通り、郢は呉によって
蹂躙されることになるだろう。そのときを
どう耐えぬくか……。それが一番の課題だ」

包胥は、より良き社会を築くために、人々に
苦難の道を歩ませようとしていた。それは、
彼にとって苦渋の選択だったに違いない。

彼は、呉と戦っているのではない。
いまの悪意渦巻く人の社会を相手に、
戦っているのだ。

奮揚は申包胥という人物を間近に見て、
自分の小ささを痛感した。

それから四年の月日が流れた。

この間の呉王闔閭の心中は、常に穏やかでは
なかった。彼は、楚地の完全なる併呑の時期を、
今や遅しと待ち続けていたのである。

闔閭は、御前に伍子胥と孫武を召し出し、
次のように問いかけた。
「前にその方らは、楚都である郢にはまだ
攻め込まぬ方がいい、と主張していたが…

そろそろどうであろう。
未だ時期尚早だと考えるか」 
伍子胥は答えた。その答えは明快である。

「時は来れり」孫武は答えた。
その答えは慎重であった。
「楚の将軍である嚢瓦は貪欲で有名な人物です。

彼は駐屯している唐や蔡に対して多額の
貢物を要求し、それをすべて自分のものと
しているらしい。

このため唐や蔡の人々は恨みに思っております。
王さまが楚を征伐するおつもりなら、まずは
この二国を味方に引き入れなければなりません」

闔閭は、伍子胥の返答に心を揺さぶられ、
すぐにでも軍を動かしたいと考えた。
しかし戦略は軍事の要である。

彼は結局孫武の言に従うことに決めた。
「おぬしがそれをすれば勝つと説くのであれば、
余はその策に従う」

闔閭はすでに孫武の学説のとりこと化していた。
彼の説得力には、伍子胥も舌を巻かずには
いられない。伍子胥は、闔閭に孫武を
推挙したことを誇りに思った。

・・・つづく


愚人は過去を、賢人は現在を、狂人は未来を語る・・



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悪い事件はあってもなかなか『いい話』は
見つかりません」 ・・・

かなり汚れた深い河で、人が溺れていた。 
それを見つけた人が飛び込んで助けました。

その話を聞いた地元の消防署が、 人命救助で
表彰しようとしましたが、 その人はやって
きませんでした。

そこで、表彰状を持って、 わざわざ家まで
出かけたそうです。
そこは、橋の下でした。 
人命救助した人は、 そう、橋の下に住む
ホームレスだったのです。

そのホームレスに、記者さんは取材に
出かけたそうです。 
そして、溺れている人を助けた時の心境を
聞きました。 

すると、「無我夢中だった…」と言いました。
目の前で溺れている人がいる。
だから、何も考えずに気がついたら飛び込んで
いたというのです。

その河は、ひどく汚れていて、 もしも自分
だったらできなかったかもしれないと思いました
せいぜい、誰か人を呼ぶくらいがせいいっぱい
だったと。・・・

こう続けます。

「ボロは着てても心は錦と言います。
見てくれだけで人を判断してはいけないと
つくづく思いました。」

別に、こんなことがしょっちゅう起きるわけでは
ありません。 

でも、「ボロは着てても心は錦」という
心の持ち様は、 人や物事を見る上で大切な
ことと改めて学びました。・・・


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