2018年11月1日木曜日

妄想劇場・歴史への訪問

Logo13

350


 



昨日という日は歴史、今日という日はプレゼント
明日という日はミステリー 


Dry111



むかしむかし、京の都に、とても大金持ちな長者
(ちょうじゃ)がいました。
この長者は子どもの時に小さな村を飛び出して、
京の都にやって来たのです。

そして食う物もろくに食わず、夢中で貯めたお金を
人に貸して、たくさんの利息(りそく→お金を借りた時に、
借りたお金よりも多くのお金を返します。
その多い分のお金を利息といいます)を取りました。

こうして男は銀八千貫という大金持ちになり、
金持ちの多い京の都でも一流の長者となったのです。

さてこの長者、京の都にやって来てから、ただの一度も
故郷の人間を京ヘ招いた事がありません。
京へ招くお金が、もったいないからです。

ところがどういう風の吹き回しか、今年の祇園(ぎおん)の
祭りには一人でも多く来て欲しいと言って、里の
親類一同を京へ招いたのです。

招かれた者たちは、
「有名な、祇園祭りがおがめるわい」
「泊まりがけの京見物じゃ」と、大喜びです。

長者と一番仲が良かったお兄さんも、
「わしの弟は、京でも名高い長者さまじゃ。
出されるごちそうも、きっと見事な物に違いない」
と、とても自慢していました。

さて、親類一同が京までやって来ると、長者は丁寧に
みんなを出迎えて言いました。
「みなさま、遠い所をようおいでくだされた。
今日は、六月六日。明日から七日間、京は祇園さまの
お祭りでございます。

お祭りの前祝いに、お膳(ぜん)の用意が出来て
おりますので、どうぞお席についてくだされ」
(おおっ、さっそくの京料理じゃ)

みんなは胸をわくわくさせて案内された膳につきましたが、
豪華な京料理を期待していたのに出されたのは、
汁といっても、なっぱの薄い汁。

ご飯はと言えば、精米(せいまい→米の表面を削り、
白米にすること)の手間をおしんだ黒い玄米。
祝い膳だというのに魚もつかず、ただ申し訳程度に
ウリのなますがちょっぴり。

しかも酒は酒屋から買ってきた酒ではなくて、
お酢のような味の下手な手作りの酒がたったの一杯。

こんなみじめな祝い膳は、田舎でさえ見た事がありません。
(なんじゃ? これが京料理か?)
みんなはあきれて口が聞けず、ただ顔を見合わせる
ばかりです。

みんなを代表して、長者のお兄さんが尋ねました。
「なあ、弟よ。これが祇園さまの祝い膳か? 
こう言っては何だが、いくら何でもお粗末すぎるのでは
ないのか?」

すると長者は悲しそうに下を向いて、ため息交じりに
言いました。「まことに、まことに、その通りです。
と言うのも、今年ほど不運な年はなく、ここは何とか
運治しをせねばならんと思い、こうしてみんなを
呼んだというわけです」

そう言われて、兄はびっくり。
「なに? 今年は、そんなに運が悪いのか。
・・・やれやれ、それは心配な事だ。しかし一体、
どの様に悪いのじゃ?」

「はい、お話しをするよりも、運の悪い証拠を
見ていただきたい。さあさあ、みなさんこちらヘ」

長者は先に立って、一同を土蔵(どぞう)の前に
案内しました。そして、大きな重い土蔵の扉を開けて
言いました。「さあ、中を見てくだされ!」

一同が見てみると、中には千両箱が山の様に
積み重ねてあります。「これはすごい! 
千両箱がいくつあるか、数えきれんぞ!」

一同がびっくりしていると、長者はとても悲しそうに
言いました。「ご覧なされ。いつもの年なら、千両箱は
一つもここには残っていないはず。

しかしどうした事か、今年は お金どのが家に
おいでなのじゃ。おかげで利息は入らず、まことに
困った事になっております。

ああ、あの様にお金どのが、昼寝をしてござってはな」
長者はそう言って、また大きなため息をつきました。
まったく、ぜいたくな悩みですね。

おしまい




鬼が餅つきゃ、閻魔が捏ねる、
   そばで 地蔵が食べたがる



Main_img111




A52




113111211311

10日遅れの正直な小包み 


大事にしていた補聴器を路上で紛失してしまいました。
失敗した!と思いましたが、購入したとき、
ケースの内側に住所、氏名を書いておいたので、
もしかしたら心ある拾い主が届けてくれるかも
しれないと、淡い望みを持っていました。

しかし、3日経ち、4日経ち、1週間経っても、
どこからも連絡がありません。
やはりダメだったかと半ば諦めていました。
10日ほど過ぎたある日、差出人不明の
小さな小包みが届いたのです。

もしやと思いながら開けてみると、
まぎれもなく失くした補聴器が小さな箱の中に、
一通の手紙とともに入っていたのです。

「ありがとう、ありがとう」
私は心の中で大きく叫びました。
手紙には次のようなことが書いてありました。
意外な内容の手紙でした。
その内容とは・・・

「ごめんなさい。
実は10日ほど前、路上で何気なく拾った補聴器、
家へ持ち帰って使用してみましたら、
それはそれは耳の遠い私が、若いころの耳のように
生き生きと全ての音が大きく手にとるように
聞こえるのです」

「欲しい欲しいと思いながら、わずかな年金の半分を、
世話になっている次男の生活費に充てているので、
とても買うことができませんでした。

きっと神様が困っている私に恵んでくれたんだわ、
と勝手に決め込み、いい気持で2、3日
使用していました。
時計の針の音も何年ぶりかで聞くことができました」

「でも、夜、床につくと落とした人の顔が見えるようで、
だんだん怖くなってきました。
どんなに欲しくても、これは人様のもの。
一刻も早く返しなさいと良心にさいなまれ、
一日遅れ二日遅れ、とうとうこんなに遅くなって
しまいました。

どうぞこの老婆をお許し下さい」

私は何度も感謝の気持ちで手紙に頭を下げました。
返していただいた嬉しさに加え、正直な気持で
お詫びされているその真心に対し、自然に頭が
下がってしまったのです。

いずれの場合でも、自分の罪悪感を吐露するのは
大変難しいことだからです。・・・




00241

0 件のコメント:

コメントを投稿