2018年11月9日金曜日

韓信外伝 -春秋の光と影(楚王逃亡)

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アングラ小説です、不快感がある方は、
読むのを中断して下さい

Kensin1

メジャーでは無いけど、 こんな小説あっても、 
良いかな・・・


Kansin

春秋末期の楚は、愚者たちによって
統治されていた。
能者は他国へ流れ、賢者はそねまれ死を
強要される。
しかし変革に立ち上がった者たちにも行動に
統一性は見られないのであった。

ある者は祖国を改革しようとし、ある者はあえて
祖国を滅ぼす、と主張する。
彼らはそれぞれに信念があり、正しかった。
誰が間違っていたというのか。 ・・・

韓信外伝 -春秋の光と影(楚王逃亡)

「嚢瓦という男は、我々が思っていたより
悪人であった。
なんだあの男は」奮揚は、愚痴をこぼすような
口調で包胥に訴えた。暗に、指揮官として
嚢瓦を選んだ彼の決断を批判しているのである。

「唐国や蔡国にずいぶんと迷惑をかけて
いるらしいな。私腹を肥やしているとも聞く。

伍子胥や伯嚭のような有益な人材を他国へ
奪われた原因を作ったばかりでなく、
倫理的な感覚も欠けているようだ。……

だが、私はこうなることを予想していたよ」
驚くことに、包胥は自軍の敗北も想像していた
と言うのである。奮揚は、包胥が正しい判断力を
維持しているのかどうかがわからなくなった。

「あえて負けるための作戦を立てたというのか? 
それは……許されることなのか」
その奮揚の問いに、包胥はひと言で答えた。

「悪は、敵の中にのみ存在するとは限らない」
ああ、そうだった。包胥が社会に求めているのは
人の善であって、それは国という枠組みにとらわれる
ことのないものであった。

もし彼が、国というものを前提に考えるのであれば
……言い換えれば、楚の国民のひとりとして自分が
為すべきことを考えたのであれば、自国の悪を
除くために、あえて苦しい選択をしたということだ。

「君が出した答えは…呉との抗争をきっかけにして、
国内の膿を出し切るということか。だとしたら、
郢は戦渦に荒れることになるかもしれない」

奮揚は包胥の考えに賛意を抱きながらも、
不安を抑えきることができず、そのように質問した。
それに対して包胥は、理解を示した口調で応じた。

「もちろん私にも未来が見えるわけではない。
だが奮揚どのの言う通り、郢は呉によって
蹂躙されることになるだろう。そのときを
どう耐えぬくか……。それが一番の課題だ」

包胥は、より良き社会を築くために、人々に
苦難の道を歩ませようとしていた。それは、
彼にとって苦渋の選択だったに違いない。

彼は、呉と戦っているのではない。
いまの悪意渦巻く人の社会を相手に、
戦っているのだ。

奮揚は申包胥という人物を間近に見て、
自分の小ささを痛感した。

それから四年の月日が流れた。

この間の呉王闔閭の心中は、常に穏やかでは
なかった。彼は、楚地の完全なる併呑の時期を、
今や遅しと待ち続けていたのである。

闔閭は、御前に伍子胥と孫武を召し出し、
次のように問いかけた。
「前にその方らは、楚都である郢にはまだ
攻め込まぬ方がいい、と主張していたが…

そろそろどうであろう。
未だ時期尚早だと考えるか」 
伍子胥は答えた。その答えは明快である。

「時は来れり」孫武は答えた。
その答えは慎重であった。
「楚の将軍である嚢瓦は貪欲で有名な人物です。

彼は駐屯している唐や蔡に対して多額の
貢物を要求し、それをすべて自分のものと
しているらしい。

このため唐や蔡の人々は恨みに思っております。
王さまが楚を征伐するおつもりなら、まずは
この二国を味方に引き入れなければなりません」

闔閭は、伍子胥の返答に心を揺さぶられ、
すぐにでも軍を動かしたいと考えた。
しかし戦略は軍事の要である。

彼は結局孫武の言に従うことに決めた。
「おぬしがそれをすれば勝つと説くのであれば、
余はその策に従う」

闔閭はすでに孫武の学説のとりこと化していた。
彼の説得力には、伍子胥も舌を巻かずには
いられない。伍子胥は、闔閭に孫武を
推挙したことを誇りに思った。

・・・つづく


愚人は過去を、賢人は現在を、狂人は未来を語る・・



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悪い事件はあってもなかなか『いい話』は
見つかりません」 ・・・

かなり汚れた深い河で、人が溺れていた。 
それを見つけた人が飛び込んで助けました。

その話を聞いた地元の消防署が、 人命救助で
表彰しようとしましたが、 その人はやって
きませんでした。

そこで、表彰状を持って、 わざわざ家まで
出かけたそうです。
そこは、橋の下でした。 
人命救助した人は、 そう、橋の下に住む
ホームレスだったのです。

そのホームレスに、記者さんは取材に
出かけたそうです。 
そして、溺れている人を助けた時の心境を
聞きました。 

すると、「無我夢中だった…」と言いました。
目の前で溺れている人がいる。
だから、何も考えずに気がついたら飛び込んで
いたというのです。

その河は、ひどく汚れていて、 もしも自分
だったらできなかったかもしれないと思いました
せいぜい、誰か人を呼ぶくらいがせいいっぱい
だったと。・・・

こう続けます。

「ボロは着てても心は錦と言います。
見てくれだけで人を判断してはいけないと
つくづく思いました。」

別に、こんなことがしょっちゅう起きるわけでは
ありません。 

でも、「ボロは着てても心は錦」という
心の持ち様は、 人や物事を見る上で大切な
ことと改めて学びました。・・・


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