2018年10月28日日曜日

妄想劇場・特別編


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みんな、私の着ているものを見て笑ったわ。 
でもそれが私の成功の鍵。 
みんなと同じ格好をしなかったからよ。 
・・・(ココ・シャネル ) 



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戦後最大、二兆三千億円の負債を抱えて2010年に
倒産したJAL 。
事業会社としては、倒産後京セラ名誉会長の
稲盛さんが会長として再建に携わり、
JALの会長に就任すると、僅か2年8か月で
再上場へと導きました。

不可能と言われたJALを復活させたその手腕とは? 

当時、経営危機に陥ったJALは、その再建計画を
巡って連日喧しく報道がなされ、誰も引き受け手が
ないまま、為すすべもなく日々だけが経過していた。

そんな中、最初は「何を言われても受ける気はない」と、
会長就任依頼を固辞されていた稲盛和夫さん
(当時78歳)が、いよいよ倒産間近となった段階で、
遂に受諾の決心をされた。

ただ、その勇気ある決断に対するマスコミの論調は、

「航空業界について何も知らない人間に何ができる?」
「高齢で経営者としてのピークをとっくに過ぎている」
「二次破綻必至」「再建は絶対不可能」
といったものばかり。

好意的な人でも「晩節を汚すことになるのではないか」
と心配し、反対の声が多数だったと記憶している。
さすがの稲盛さんでも今回だけは難しいのではないか
……と、正直、あの時、一体どれだけの人が再建を
心から信じることができていただろう。・・・

さらにその時、驚いたことは、稲盛さんがJALに
連れて行った京セラの社員が、たった二人だけ
だったことである。

これから大改革をするに当たり、当然、腹心の部下を
こぞって引き連れ、京セラフィロソフィや経営の仕組みを、
JAL社員に伝えていかれるものだとばかり思っていた。

ところが選ばれたのは、たったの二人。
そのうちの一人が、稲盛さんの秘書を長年
務めてこられた大田嘉仁さんである。

『JALの奇跡』致知出版社:大田嘉仁 
JAL再建の一部始終が克明に記されています。

・当時のJALの様子、社員の反応
・具体的に何を行ったのか、何から始めたのか
・稲盛さんが社員に訴えかけたこと
・成功の一番のポイントは何だったのか
・その法則は他の業界にも当てはまるのか

そしてそこに綴られた文章は、時に稲盛さん
ご自身が語られるよりも迫力を持つことさえあった。

同社の再建に貢献した稲盛氏の側近中の側近は、
「あること」を社員たちに丁寧に、そして入念に
浸透させていったといいます。

リーダーとマネージャーの違いを説明できますか? 

企業経営をする上で最も大事なことは、経営幹部に
立派な人間性をもつすばらしいリーダーを
据えることである。どんな困難に直面しても逃げずに
真正面から取り組む勇気があって、また部下や
仲間を大切にする優しさをもっている。

さらに常に謙虚で努力を怠らない。
そういうリーダーでなければ小さな部門さえ
まとめることはできない。

JALに着任し、会議に出席し、現場を訪問する中で、
JALには本当のリーダーと呼べる人間がいないことを
痛感していた。それではいくら立派な再建計画を
作っても、達成できるはずはない。

外部からのコンサルティングなどは一切なく、
あくまで内部の改革で成し遂げた奇跡の秘密は、 
「ハードではなく人の意識を変える」ということ。 
武器として持っていたのは「フィロソフィ」
と「アメーバ経営」 

人として何が正しいか」という考え方や熱意
=フィロソフィと、アメーバ経営という
経営システムの2つをベースとして再建しました。 

アメーバ経営とは、全員参加経営を実現するための
会計システムです。
組織をできるだけ小さく分け、運営を各部門の
リーダーに任せ、その経営数字をオープンに
リアルタイムに把握します。

部門ごとに採算表をまとめることで、どの部署が
黒字だったのか、どういった経費を使ったのかが
すべて把握でき、京セラ成長の原動力になった
システムといわれています。 

5名の意識改革準備室を開設、
土曜日を含めて1か月に16回のリーダー教育を断行。 
強引ともいえるスケジュールを進め、終了後には
必ず意見交換会(コンパ)を行うという徹底ぶりで、
幹部間の一体意識を高めました。 

今JALに必要なのは部下をまとめて同じ目標に
向けて引っ張っていけるリーダーを育てること。

優秀なマネージャーであれば、困難に遭遇すれば
その迂回策を考えるだろう。
うまくいかなかったら、その言い訳を探して、
責任逃れをするだろう。

そんなマネージャーばかりだから倒産したんだ。
再建を成功させるには、どんな困難に
ぶち当たってもあきらめずにやり遂げようとする、

一つの目標に向かって部下を鼓舞して
なんとかまとめていこうと考える、そんなリーダーが
必要なんだ。リーダー教育の必要性をどうにか
理解してもらった。 

「お前は何を基準に人を見るのだ」と稲盛さんに
聞かれた際、大田嘉仁さんは 「JALが一番好きで、
まじめで一生懸命で、しかも明るい人が
リーダーに相応しいと思っています」と
答えています。 

上の立場の人間の意識が変わらないと、
部下の意識が変わるはずもない。
逆に、幹部の考え方が変われば、自ずと
部下の考え方も変わる。だから、どうしても
リーダー教育を早急に始めなければならない
と思っていた。

追記・・・

その日、僕は羽田空港へと急いでいた。
保安検査場に着いたのは、朝7時30分。
フライトは7時40分。
出発まであと10分しかない。

すると僕の慌てた様子に気付いた
JALの若いCAの方が、
「何分発ですか?

えっ?! 
それはもう間に合わないかもしれません……。
でもすぐ連絡を取ってみます!」とスタッフに
電話をし、なにやら事情を説明してくださっている。

そして、まだなんとか間に合いそうなことが分かると、
「私がゲートまでご案内します」と僕のすこし前に出て、
駆け足で先導してくださったのである。

朝早くから空港内を懸命に走りながら
案内してくださるCAの方に、心から申し訳ない
と思うと同時に、そのひたむきな姿に心を打たれた。

さらにその方は移動中にも連絡を取って、
「まだお並びの方が10名ほどおられるようですので
大丈夫です」と僕を安心させるとともに、
余計な気を遣わせないよう心を砕いてくださった。

そして無事ゲートを通過するまでを見届け、
「お急ぎ立てしてしまい、申し訳ございませんでした。
どうぞお気をつけて行ってらっしゃいませ」
と深々とお辞儀をされている姿に、
「さすがJAL……」との思いを
新たにしたことだった。


『JALの奇跡』致知出版社:大田嘉仁 
JALの再建劇は、日本のみならず、 
世界の産業史にも残るほどの稀有な
出来事である。 

『論語』を著したのは、孔子本人ではなく、
孔子の門人たちだったように、その人物の
真の偉大さは、最も身近にいた人によって、
よりリアルに伝えられるものなのかもしれない。
・・・



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平野恵子さんは、三人の子どもに恵まれた
お寺の坊守であった。
彼女が三十九歳の冬、お寺で新年を迎える準備を
していたとき、下腹部の激痛におそわれ、
多量に下血した。

彼女はただならぬ重い病気であることをさとった。
あふれでる涙のなか彼女はこう思った。・・・

「この目の前の現実は、夢でもなく、幻でもない。
間違いのない現実なのだから、決して逃げる
訳にはゆかない。

きちんと見据えて対処してゆかなければ・・・」
彼女は癌の告知を受けた後、三人の子どもたちへ、
母親としてあげられることは一体何だろうと考えた。
彼女は、死を前にした自分の願いを、こう記している。

「お母さんの病気が、やがて訪れるだろう死が、
あなた達の心に与える悲しみ、苦しみの深さを思う時、
申し訳なくて、つらくて、ただ涙があふれます。
でも、事実は、どうしようもないのです。

こんな病気のお母さんが、あなた達にしてあげれること、
それは、死の瞬間まで、「お母さん」でいることです。

元気でいられる間は、御飯を作り、洗濯をして、
できるだけ普通の母親でいること、徐々に動けなくなったら、
素直に動けないからと頼むこと、そして、苦しい時は、
ありのままに苦しむこと、それがお母さんにできる
精一杯のことなのです。

そして、死は、多分、それがお母さんからあなた達への
最後の贈り物になるはずです。
人生には、無駄なことは、何ひとつありません。
お母さんの病気も、死も、あなた達にとって、何一つ
無駄なこと、損なこととはならないはずです。

大きな悲しみ、苦しみの中には、必ずそれと
同じくらいのいや、それ以上に大きな喜びと幸福が、
隠されているものなのです。

子どもたちよ、どうかそのことを忘れないでください。
たとえ、その時は、抱えきれないほどの悲しみであっても、
いつか、それが人生の喜びに変わる時が、きっと訪れます。

深い悲しみ、苦しみを通してのみ、見えてくる世界が
あることを忘れないでください。
そして、悲しみ自分を、苦しむ自分を、そっくりそのまま
支えていてくださる大地のあることに気付いて下さい。

それがお母さんの心からの願いなのですから。
お母さんの子どもに生まれてくれて、ありがとう。
本当に本当に、ありがとう。」

さらに、彼女は、死の前で、子どもたちに次のような
手紙を送っている。

「お母さんは“無量寿”の世界より生まれ、“無量寿”の
世界へと帰ってゆくものであります。
何故なら“無量寿”の世界とは、すべての生きとし
生けるもの達の“いのちの故郷”そして、お母さんに
とっても唯一の帰るべき故郷だからです。

お母さんはいつも思います。
与えられた“平野恵子”という生を尽くし終えた時、
お母さんは嬉々として、“いのちの故郷”へ
帰ってゆくだろうと。

そして、空気となって空へ舞い、風となってあなた達と
共に野を駆け巡るのだろうと。
緑の草木となってあなた達を慰め、美しい花となって
あなた達を喜ばせます。

また、水となって川を走り、大洋の波となってあなた達と
戯れるのです。
時には魚となり、時には鳥となり、時には雨となり、
時には、雪となるでしょう。

“無量寿=いのち”とは、すなわち限りない願いの
世界なのです。そして、すべての生きものは、その深い“
いのちのねがい”に支えられてのみ生きてゆけるのです。

だからお母さんも、今まで以上にあなた達の近くに
寄り添っているといえるのです。 悲しい時、辛い時、
嬉しい時、いつでも耳を澄ましてください。
お母さんの声が聞こえるはずです。

『生きていてください、生きていてください』という
お母さんの願いの声が、励ましが、あなた達の
心の底に届くはずです。」

彼女の子どもへの愛情は、この世限りのものでなく、
死をも超えてつながる真の愛情であると信じて疑わない。
その浄土は、生きとし生けるものの故郷であり、
無量寿の世界であると彼女は受けとめている。・・・



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