2018年10月24日水曜日

妄想劇場・人生~(the life)

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恋はまことに影法師、いくら追っても逃げていく。
こちらが逃げれば追ってきて、
こちらが追えば逃げていく。
  ・・・(シェイクスピア)


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介護離職、介護離婚、あげくは介護殺人まで
起こる現在、介護する人たちの心身の負担は
想像するにあまりある。
小室哲哉さんの不倫疑惑から引退という一件も、
「介護不倫」「介護離職」と報道したところが
あるようだ。

介護不倫については実際に話を聞いたことがある。
夫の両親を介護しているのに、夫からねぎらいの
言葉ひとつもらえず外で恋に走ったケースもあれば、
夫の介護に疲れて他の男性に癒やしてもらう
ケースもある。

不倫の善悪はともかく、「どうにもやり場のない
気持ち」をわかってくれる人に気持ちが向いて
いくのはやむを得ないとも感じてしまう。

夫の両親を介護するために離職

ミサキさん(42歳)の夫の父親が脳梗塞で
倒れたのは5年前。退院はしたものの自力では
歩けず、夫の母が必死に介護をしていた。

当時、ミサキさんは8歳と5歳の子を抱え、
仕事もしていたので手伝うこともむずかしかった。

「そのうち疲れたんでしょう、義母も
倒れてしまって。
そこでついに夫が私に仕事を辞めて介護を
手伝ってくれないかと言い出したんです。

夫は一人っ子だし、私も放ってはおけない
と思ったのでやむなく仕事を辞めました。
がんばって続けてきたからもったいない
と思ったけど…。

介護は先が見えないから休職というわけにも
いかなかった」
そこからミサキさんの生活は一変する。
朝5時に起きて、朝食作りと夕食の下ごしらえ。
洗濯をすませたところで夫を会社へ、

上の子を学校に送り出す。
掃除など家事を終わらせて下の子を保育園へ
連れて行って、1時間ほどかかる夫の実家へ。
家事や両親の食事の世話などをして夕方には
自宅へ。これが毎日続くのである。

誰も認めてくれない、報酬もない

「仕事と違うのは誰も認めてくれない、
報酬もないということですよね。両親も体が弱って
心も弱っている。暗いんです、笑顔もない。
どんなにこちらががんばっても明るさが戻ってこない。

義父は認知症も入ってきて、何度も同じことを言う。
そのうち徘徊するようになってきて・・・」

たっぷり3年間がんばったところで、ミサキさんは
何もかもイヤになり、気持ちがどんどん
落ち込んでいった。

「夫は週末、たまに様子を見に行く程度で、
それまでと変わらない生活をしている。
私の大変さをわかろうともしない。

私がぐったりしていると『今日はピザでもとるか』
と言ってはくれたけど、そもそも自分の両親を私に
介護させていることについてきちんと感謝して
もらったこともない」

ある日、夫の実家に行こうとして電車を乗り過ごした。
寝ていたわけではなく、ぼんやりしていて降りるべき
駅で降りなかったのだ。

「このままどこかへ行ってしまいたいと思いましたね。
でもそうもいかない。重い体を起こして次の駅で
降りたら、『ミサキちゃん』と声をかけられて。
びっくりしました。
中学時代の同級生の男の子だったんです」

彼は取引先から会社に戻るところだった。
ちょっとだけお茶でもと誘われ、遅くなりついでだ
と彼女も応じた。

彼という支えがあるからやっていける

「義両親と子どもの世話に明け暮れていたから、
大人の男性とまともに話すのは久しぶりでした。
夫とも事務的な話が多くなっていたし。彼と話して、
あ、私は社会とつながっていると実感できたのが
うれしかった」

そこから彼との関係が始まった。
無理やり時間を作って彼と会い、話をした。
それがいつしか恋へとつながっていく。

「いけないとわかっていたけど、彼が私の唯一の
社会との接点であり、私が生きている女であると
わからせてくれる存在だったんです。

ゆっくり会えるのは月に1回くらいだったけど、
その他にも彼は30分でも時間をあれば話を
聞くよと会ってくれた。それがありがたかったですね」

1年前、義父が再度、脳梗塞を起こして亡くなった。
それを機に、ミサキさん一家は義母を引き取った。
義母も現在、認知症があり、介護はまだまだ続く。

「それでも彼という支えがあるから、私はこの5年間を
過ごすことができたのだと思います。
もし彼がいなかったら、私はうつ病になるか
自殺していたか……。
一時期はそれほど追いつめられていましたから」

ミサキさんは自分の指先を見つめながら語った。
少し荒れた指先が彼女の日常を物語っているようだ。

再婚同士の夫の介護に疲れ果てて

同じように夫の介護に疲れ果てたリョウコさん(56歳)。
一回り年上の夫と結婚したのは10年前。
お互いに再婚だった。そして結婚して3年後から
介護が始まった。

「長年一緒にいる夫婦だから介護はできるんですよね。
私の場合は結婚生活より介護生活のほうが長い。
正直言って、しまった、結婚なんてするんじゃなかった
と思いました。夫には申し訳ないけど」

夫にはひとり娘がいるが、遠方で暮らしているため
めったに来られない。リョウコさんには子どもはいない。

「夫側は親戚もほとんどいないんです。
結婚するときは親戚がいなくてめんどうがないわ
と思っていたけど、こうなってみると協力者もいない
ということなんですよね」

右半身が不自由になった夫を心身ともに支えて
いくのは大変だった。どうにもつらくて、離婚した
元夫に電話したことがある。

「元夫とはときどき連絡をとる関係ではありました。
彼も再婚していますが、他に頼れる人がいなかった。
意外にも彼が親身になってくれて……。

とにかく会おうと。支援してくれる機関を教えてくれたり、
私のことも励ましてくれたりしました。
そうしているうちに元夫と寝てしまった。
元夫も再婚相手とうまくいっていなかったみたい。

離婚してよりを戻そうかという話にもなったけど、
介護が必要な夫を見捨てるわけにもいかない。
つらかったです」

わかってくれるのは元夫だった

結局、元夫とは今も定期的に会っている。
ホテルへ行ってもセッ○スしないこともある。
彼女自身、更年期もあって体調が定まらない。
ただ、元夫に抱きしめられるだけで心が
落ち着くのだという。

「いつまで続くかわからないんですよね、介護って。
先が見えない。ずっと長いトンネルの中にいて
光がまったく見えてこない。
私がなんとか生きているのは、元夫がいてくれる
からだと思います」

介護不倫というと言葉のイメージはよくないが、
彼女たちはどうにもならない立場で必死に救いを
求めているのだ。重い話であるが、誰にとっても
他人事ではない。・・・



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私は母子家庭でした。近所にいる祖父宅へ
小さい時から預けられていました。

そこには若い頃に祖父が作った愛人の
おばさんもいました。何十年も一緒にいるので
本当の夫婦のようでした。

私とは血が繋がってはいませんが本当の
孫のように接してくれていました。
趣味のパチンコやに、買い物に、犬の散歩に
行ったりと過ごしていた時間が長く、
楽しかったのを今でも思い出します。

時は経ち、みんな年をとって老夫婦も本当に
高齢者になってきたため、家を建てみんなで
生活することになりました。

生活して二年後に祖父は脳梗塞になり
右半身麻痺、認知症になってしまいました。

また、愛人のおばさんも持病の糖尿病が
悪化してきました。体調の悪い二人の世話を
私はしながら生活していました。

私の母親はそれを見て、老夫婦に強くあたり
散らしていました。昔の怨みみたいなことも含んで
言っていたので、家の雰囲気は最悪でした。

さらに、年が経ちいよいよ自宅では介護困難な
状況になってきました。祖父の認知症状は
止まることなく落ちつかない、おばさんも高度な
認知症状がでてきました。

老夫婦を一緒に介護施設に入所せざる状況に
なってきました。
母親とはもうどうにもならないくらい関係が
悪化していたため、私が施設まで送り届ける
ことになりました。

車内では皆無言で、時々祖父が意味不明な
会話をはじめるくらいでした。
施設に着いたとき、私は顔の原型がなくなるほど
泣いてしまいました。

ずっと我慢していたせいもあり、止まらなくなって
二人に何度も謝りました。
しかし、二人は謝り、泣いている私を見て、
今までありがとうと笑顔で話してくれました。

認知症状が進んでいる二人は本当に理解
してるのかわからなかったですが、悲しい
気持ちでいっぱいでした。

一年後に祖父は他界し、おばさん独りきりに
なってしまいました。
認知症状がかなり進んで私の顔を忘れている
状況でした。私を施設職員だと思い込んで、
必ず話しかけてきます。

私にはあなたと同じくらいの孫がいるんだ。
優しくて力持ちで看護師をしているんだ。
あの子は私の自慢の孫なんだよ。
と、私の顔を忘れていても私のことは覚えている
おばさんに涙が溢れました。
私はそうですかと相槌をする事しか
できませんでした。

二年後、おばさんは他界しました。
最後まで私のことは覚えてくれていました。
小さい時に、私のたった一人の孫なんだよ
と自慢してくれた大好きなおばさん。

血が繋がってはいませんが本当に大好きでした。
ありがとう。私は今、二人の娘に恵まれ
幸せです。
おばさんと過ごした暖かく、柔らかな時間を
今は家族で過ごしいます。
また、墓参りの時に会いましょう。・・・



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