2018年10月29日月曜日

妄想劇場・特別編

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人生は道路のようなものだ。 
一番の近道は、 たいてい一番悪い道だ。 
・・・ フランシス・ベーコン



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「尊厳死宣言」が8か月で1000件超、急増の背景は 

「生命を維持するために、点滴で栄養や水分を
送り続けると、体がだぶだぶの状態になるんです。
お医者さんの中には、『溺れる』と表現する人も
いるそうです。

たしかに父の命はつなぎ止めましたが、
果たして最善の選択だったのか……。
答えは見つかりません」

そう話す50代のAさんは、昨年、父親をがんで
亡くした。病床で何本も管につながれた父の
最期の姿が、今も脳裏から消えないという。

病気や事故で回復の見込みがなくなった場合、
無理に延命治療を施さず、自然な最期を
迎えるのが「尊厳死」だ。

文字通り、人間としての尊厳を保ったまま
旅立たせるという考え方だ。

「尊厳死の基本は“望まない医療を受けない
権利を守る”ことにあります」
日本尊厳死協会関東甲信越支部理事で
杉浦医院院長の杉浦敏之氏は、そう話す。

どんな最期を迎えたいかは、それぞれの
人生観によって異なる。
最後まで病魔と闘い抜く考えの人もいれば、
経管栄養と人工呼吸器をつないで生き続ける
ことに抵抗感を示す人もいる。

2025年には65歳以上の人口が全体の3割に達する
といわれる。超高齢時代に、人生をどう
締めくくるかは現代人にとって大きなテーマだ。

そんな中、日本公証人連合会が、ある調査結果を
発表した。今年1~7月に、公証役場で作成された
『尊厳死宣言公正証書』(以下、尊厳死宣言)の数が、
983件にのぼったという。

尊厳死宣言の文例は?

公正証書とは、法務大臣に任命された公証人が
作成する文書のことだ。金銭貸借を含む
各種契約や、遺言などの内容を公証人が証明する
ことにより、法的な紛争を未然に防ぐことを
目的としている。

そこで作成される尊厳死宣言には一体どんな
役割があるのか。優オフィスグループ代表で、
行政書士の東優氏が解説する。

「尊厳死宣言は、終末期に延命治療を望まない
意思を、公証人の前で宣言する文書です。
法的な拘束力はありませんが、家族や医療機関
などに対して自分の意思を表明できるものです」

これまでも、一般財団法人である日本尊厳死協会が
延命治療を望まないことを表明する「終末期医療に
おける事前指示書(リビング・ウイル)」の
普及活動を続けてきた。

エンディングノートをはじめ、自分の人生の
終わり方を考え、文書として残そうとする風潮も
広がりつつある。

だが、そういった文書は、あくまで“私的”なもの。
“公的”な意味合いのある尊厳死宣言に
まとめることで、よりはっきりと周囲に意思を
伝えることができるという。

東京都にある公証役場がホームページに
公開している
オーソドックスな尊厳死宣言の文例には、

「延命治療を行なわないこと」
「苦痛を和らげる措置は最大限行なうこと」
「医療従事者の免責」
「自身の精神状態の健全性」
といった項目が綴られている。

日本公証人連合会の向井壯氏が解説する。
「確認したところ、古くは1993年に尊厳死宣言が
作成された記録がありました。

尊厳死という言葉の広まりとともに相談件数
および作成数が増えています。
それで今年、初めて統計を取りました。
データ発表の翌月となる今年8月には145件
作成されており、合わせて1000件を超えました。  

家族に迷惑をかけたくない、という考えの人が
多いと思います。実際に身内の方を看取って、
自身の最期をイメージした時に尊厳死という
結論に至ることも多いようです」・・・




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毎年、冬になると思い出す話です。

私たちの地域では、暖房器具用の灯油を、
毎週、タンク車で配達に来てくれます。
玄関先にポリタンクを置いておくと、
灯油を入れておいてくれるのです。

我が家では、毎週の配達日に家人が留守を
しているため、代金を封筒の中に入れて空の
ポリタンクと一緒に置いておくように
していました。

直接、灯油販売のおじさんと会わなくても、
灯油がもらえるようにしてあったのです。
そんなやりとりが数年間も続いていました。
ある年の冬のことです。

偶然に、灯油の値段が上がっていたことを
知りました。
それも、ずいぶん以前かららしいのです。
ざっと見積もっても、累計で数千円が
不足していました。

そこで、代金を入れた封筒の中に、
「金額が変更していたことを知らずすみません。
不足分の代金をお支払いしたいので
教えてください」と一筆書いて入れておきました。

その日の夕方のことです。
家人が帰宅して封筒の中を見ると、 こんな
メモが入っていました。
「ずっとお世話になっていますから、これまでの
分は結構です。」と。

狭い住宅道路で灯油販売のおじさんのタンク車と
自転車ですれ違ったときに、
「どーぞ、どーぞ、すみません」と優しく言って、
車をバックさせてくれたおじさんの顔が
目に浮かびました。

寒い冬に、灯油が心の中まで暖めてくれました。

江戸時代から続くデパートの大丸には、
こんな家訓があるといいます。
「先義而後利者栄」
正義を優先し、利益を後回しにする者は栄える、
という意味です。

また松坂屋には、
「人の利するところにおいて我も利する」
つまり、相手に得をさせてこそ、自分も
利益を得られる、という意味の言葉が
残されています。

そのほか、近江商人の有名な「三方よし」
という商いの考え方があります。
「売り手よし 買い手よし 世間よし」。
売買の二者だけでなく、世間つまり社会貢献まで
すでに考えていたのです。

これらのように、自分の利益だけ考えて商売を
するのではないという考え方、
つまりギブアンドギブの精神こそが、
江戸時代から現代までも企業を存続させた
原動力だったわけです。

灯油のおじんさんのお話は、
エゴが罷り通る世知辛い世の中だからこそ、
心に染みるものですね。

萩本欽一さんの編著「欽言力 」に
「何かをするとき、見返りを求めちゃいけない」 

欽ちゃんが小学生のとき、 
学校の帰りに八百屋さんの大八車を押して
あげたら、別れ際に、「坊主、ありがとな」 
とりんごをくれたそうです。

「いいことをした」と思って母親にそのことを
得意げに話したら、 
「欽一、人さまからものをもらったら、 
親切にはならないのよ。 

そういうときは、きちっとお断りしなさい。 
りんごをもらわないで押せば、もっといい子
だったのに」と言われたというのです。

欽ちゃんの家は、家財道具を差し押さえられるくらい
貧乏だったそうです。 
それなのに、素晴らしいお母さんですね。

さらに、こんな話も。 
欽ちゃんが3人の友だちと映画を見に行ったとき、
お金もないくせに全員の入場料を払ったことが
あるそうです。

みんなが「萩本は貧乏」と知っています。 
そのうちの一人が後に 「萩本がバイトしたお金で
映画を見るのは申し訳ないと思ったけど、 
ぐっと堪えたんだ。
そうじゃないと、貧乏人扱いすることになるから」 と。

そいつは、いい奴でときどき自分の家に
連れて行って飯まで食べさせてくれたそうです。 

「俺さ、お前が貧乏だから食わせてるんじゃないぞ。 
うちのお袋は料理が好きだから、友だちにも
食わしてやりたいと思って呼んだの。 
だから負担に思うなよ」 と言って。

この二つのエピソードには、共通点があります。 
その根底にあるのは、「ギブアンドギブ」の精神です。 
与えて与えて、見返りを期待しない心を養うこと。 
・・・



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